朝日山神社奇譚−付喪神物語−

一対の蓮華

母屋から社務所に通じる廊下の傍らに、池がある。

元からこの地にあった小さな池だそうで、ここを神社として整備する際、池はそのまま、住居をその傍に構えたらしい。

そこでは紅白の蓮が一本ずつ、毎年綺麗な花を咲かせていた。

たまたま廊下を通りがかった千春の耳に、聞きたくもない声が聞こえた。

その声に引き止められるように、千春は足を止める。

(ああ……無視したい……)

白い袖を揺らしながら千春は額に手を添え項垂れた。

これ以上、厄介ごとを抱え込みたくない、というのが彼女の本音だ。

しかし、彼女の願望とは裏腹に、声は途切れることなく響いてくる。

『おーい……おーい……』

ここで千春が無視をするのは非常に容易いなことなのだが、後のことを考えると、どうしてもここで対応しておいた方がいい。

忙しい(自称)父親や、自分ほど視えていない母親になにかを言われるのは、巡り巡って自分の不易に繋がる。

その上、他の付喪神たちはきっとすでに気づいているだろうし、ここで無視すれば奴らに付け入る隙を与えることになってしまう。

(それは絶対無理。嫌)

しばらく静止して葛藤した千春は、後ろで一つに結った髪を揺らしながら深い深いため息をついた。

吐いた分息を吸い込み、下腹に力を込め、気合いを入れる。

「よしっ」

覚悟を決めると緋袴を翻し、池を見渡せる手摺を掴んで池を覗きこんだ。

「呼んだ?」

『ああ、やっと届きました』

『ああ良かった、届きました』

「で、誰?」

姿が視えない。成りたてでまだ視認できるほどの力がないのだろう。

『私はこちらの蓮です』

『私はこちらの蓮です』

「うんどっちがどっちかよくわかんないけど、そこに咲いてる紅白の蓮が貴方たちね。ってことは、花蕊かずいと同じ植物の精の類ね」

器物も百年経れば魂が宿る―と言うように、付喪神として化けるのは、器物と思われがちだが、植物も例外ではない。

道具だろうと生き物だろうとなんだろうと、百年といわず長い年月が経つとこうして不思議な力を得るものなのだそうだ。

昔、祖父から祖母が蓮の種を池に植えたと聞いており、その時の大体の時期から計算して成るならそろそろだろうとは考えていたけれど。

―本当に成らなくてもいいじゃない。

そんな千春の心情など察する訳もなく、二本の蓮は「花蕊」の名に反応する。

『小さい方が話していた桃の木の精ですね』

『市松模様の方が話していた桃の木の精ですね』

(ほらやっぱり、もう霜雪そうせつに会ってるじゃないー!)

市松模様で通じる相手などあの付喪神しかいない。一番厄介なお喋りに接触されている。

先延ばしにせず話しかけておいて良かった、と千春は心底安心した。

しかしそうなると、どうせ次に彼らの口から出てくる言葉など決まっているのだ。

『あなたが千春殿ですね?』

『我らに写し身を頂けないでしょうか』

ああやっぱり。そのお喋りな付喪神が吹き込んだのだろう。

付喪神達は元々化ける能力を持つから付喪神と呼ばれる。

色々な理由から人の姿を取りたがるが、人をよく知らないからか、どうにもうまく人の姿を取れないものが多い。 そういう時、彼らは決まって千春が考えた人の姿を参考にして化けるのだ。

ガクッ、と手摺に突っ伏しそうになるのだけはなんとか堪える。

さわさわ、と何かの気配がして千春は柏手を一つ打った。

「はい待った!」

千春の一言に気配はするすると引いていく。

「いきなり貴方達の姿をください、って言われてすぐに用意できるわけがないでしょう。ちゃんと貴方達にあった姿を用意するのは約束する。で、見た目の性別に希望はある?」

これに答えは返ってこなかった。

人間の性別をそもそも理解してないかもしれない。

「わからないならこちらで勝手に決めさせてもらうわ。呼び名はそうね……、紅い方が紅蓮、白い方が白蓮でどうかしら」

『私が紅蓮』

『私が白蓮』

『良い名ですね』

『ありがたき名ですね』

(あ、先に話してた方が紅い蓮だったんだ)

ようやく区別がついたところで、千春は紅蓮と白蓮からお礼を告げられる。

それから二、三質問をして、後日、用意ができたら教えにくると伝えて千春は池のそばを離れた。

(あの場で適当に考えて決めると他愛ない姿になっちゃうからね。どうせ付き合うなら、あたし好みのとびっきりの二枚目イケメンに仕立ててやる!)

千春はヤケクソのやる気だけを出して、やりかけの仕事をこなしに社務所へと姿を消した。

(『紅白の蓮の付喪神』付喪神物語より)

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