三、天近き、沈黙の丘 - 4

MIND STRONG ADVENTURES ! エヴィンハルハの天使

三、天近き、沈黙の丘 - 5

『見ていないとでも思ったかい。愚か愚か』

あたしもレオンも剣の柄に手をかけ、周囲を探る。が、月明かりと夜目で見える範囲のどこにも、声の主の姿は見つけられない。

あたしが光火アッタラプノルを使おうか考え始めた時、突然アルの足元に赤黒い光が生まれた。その光は瞬く間に円環状にアルを取り囲む。

なにかの魔法陣だと認識したその瞬間、魔法陣から闇が噴き出した。アルの姿が飲み込まれたのはまさに刹那。直後、アルの悲鳴があたしの耳をつんざいた。

「ア―っ!」

思わず手を伸ばしてアルを包み込んだ闇に手を触れた瞬間、あたしは遠くに弾かれる―!

草の上を転がったあと、背中を何かに打ち付けられて、あたしは止まる。痛みをこらえて後ろを確認すれば、石壁がそこにあった。

ったー。あたしじゃなかったら、もっとひどい怪我してたぞこれ。

「ミナっ⁉︎」

「大丈夫っ!」

レオンの声にあたしは声を張り上げるが、彼はあたしが飛ばされたと認識するや、すぐに剣を引き抜き闇を切り裂こうとする。しかし、彼が剣を抜くより速く、突然盛り上がった地面に突き上げられ、飛ばされた。

『そいつがダッドが言ってた噂の剣かい。なるほどなるほど、くわばらくわばら』

ダッド! ってことは、このしわがれた声、ダッドの仲間―魔族か!

アルから離れた場所で着地をしたレオンは、あたしに手で「大丈夫」だと合図する。どうやら無事らしい。

あの魔法陣の中でなにが起きているかはわからないが、相手が魔族ならば、どうせロクなことではないはずだ。

とにかく、あの魔法陣の発動を止めなければならないが、肝心の術者の姿をあたしたちは見つけられない。

くっそーここにアンナかハンナがいてくれたら、すぐに見つけてくれたかもしれないのに!

「アルっ⁉︎」

あたしの思考を遮る、高めのやわらかな声が響いた。

まさか⁉︎

声に引っ張られるように、あたしも、レオンも住居群の方を見ていた。メルが、息を切らせながらアルを飲み込んだ闇を見つめている。そのままアルの方に走り寄ろうとして、アンナに引き止められた。

「ミナさん! アルがその中にいるんですよねっ⁉︎ はやく」

「メルさん、あれに不用意に近づいてはいけません! メルさんまで巻き込まれかねません!」

メルは相当アルに入れ込んでいる。もしメルの目の前で彼になにかあったら……。

「メル! 向こうに行っていなさい!」

しかし、あたしの言葉も虚しく、それはそこに現れた。

なんだ、これは―?

あたしは息を呑んで呆然とそれを見ていた。

『あーれ、また失敗かい。土地と血かねぇ』

しわがれた声を合図に魔法陣の闇が中から吹き飛ばされるように消え、その中があらわになる。その中にいたのは、アルではなかった。

灰のように色が抜け落ちた肌。大きく膨らんだ体に長い爪。白目と反転しているアーモンドブラウンの瞳。その眼球は大きくのめりだしている。牙が伸びて口が裂けた、前屈みの巨躯の怪物が、そこにいた。

アルは、どこに……と視線を彷徨わせて、そいつが纏っている布が、アルが身に纏っていたものだとようやく気づく。

まさか―。

「ミナ! 避けろっ!」

レオンの怒号にあたしはハッと瞬きをする。そいつの口から魔力弾が放たれたのは、それとほぼ同時だった。

障壁アルコツベ!」

体制を低くし視界を閉じたあたしの耳に、ジュッという音だけが届く。

衝撃が抜けた後で、あたしは恐る恐る瞼を開けて周囲を確認した。突き出した剣の柄は無事なようだ。あたしの周囲は咄嗟に張った結界内を除いて、地面が抉られていた。

役目を終えた結界が、フッと消える。剣の柄の魔法道具マジックアイテムに封じていた魔術なので、もともと持続時間も長くない。

前方を見据えながら立ち上がろうとしたあたしの目の前に、突然ハンナが現れる。肩を掴まれたと思った瞬間には、あたしの視界はゆがんでいた。

―気がつくと、あたしは廃墟の中にいた。

状況を把握する余裕すらなく、あたしは頭の芯がグラグラとして気持ち悪くなる。

「……ちょっと、転移かなにかするなら、先に言ってくれない……?」

あたしは口に手を当てて蹲りながら、生理的な拒否反応をなんとかやり過ごす。

「あんたそんな軟弱体質だったの?」

「ミナさん、申し訳ありません。緊急事態でしたので」

ハンナとアンナの声だ。目だけを動かして周囲を確認すれば、その場にはレオンとメルもいた。

あたしは昔から転移系の術はとにかく苦手で、乗り物酔いと同じ状態になる。転移の術自体が高度な魔術で簡単に使えるものではないが、楽ができないのは難儀である。

「レオンさんは大丈夫ですか?」

「オレは平気だ。けど、ここは……廃墟群の中か?」

アンナは「はい」と肯定した。

「状況整理のための、ただの時間稼ぎです。そう長くないうちに見つかるでしょう」

あたしたちが混乱してるのを見抜いて移動した、というところだろうか。

「それなら早速だけど、アンナたちはアレが何か、知ってるの?」

あたしはまだ口に手を当てたまま、アンナとハンナに質問する。

「近年確認されている、魔族化、だと思います」

アンナは眉間に皺を寄せながら、そう答えた。

魔族、化……? 聞いたことがない。

レオンの顔色も伺うが、彼も知らないと首を小さく横に振った。

「魔族化って、なんなのそれ」

白魔女フェイの記録で最初にそれが確認されたのは……」

アンナはそう言いながらどこからともなく手のひらに分厚い本を出現させた。その上で手のひらをスライドさせると、パラパラとページが勝手にめくられていく。

やがて、とあるページを開いた状態で、それは静止した。

「……百年ほど前になります。『魔族の特徴を備えてはいるが、会話は何一つ成立しなかった。白魔女数十人で討伐した』と記録した人は記しています」

彼女が手にしてるのは魔女の記録本かなにかなのか、紙面を見ながらすらすらとアンナはその内容を読み上げた。

「『突如現れた魔族に似て、魔族と呼ぶには欠けている存在。それらを調査・研究した結果、それらはそもそも別の存在だった』と確認されました」

「魔族じゃないものが魔族になった……? それがアンナが言う魔族化か?」

アンナはレオンの言葉を首肯する。

「その別の存在って……」

先ほど見た光景から嫌な予感を抱きながらあたしは、聞いた。

―人間、だったそうです」

覚悟はしていたけど、やっぱり……。

人間が魔族になる―それがアンナの言う魔族化でいいのだろう。

アルの半分は人間だ。ならば、やはりさっき魔法陣から現れたあの怪物は……。

そうならば、確認したいことは一つだ。

「魔族化した人間を元に戻す方法は、あるの?」

アンナは鎮痛な面持ちで首を横に振った。

「存在そのものを造り変えるもので、不可逆な術のようだ、と」

不可逆―それは、元には戻せないという宣告に、他ならなかった。

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