三、天近き、沈黙の丘 - 5

MIND STRONG ADVENTURES ! エヴィンハルハの天使

三、天近き、沈黙の丘 - 6

魔術には可逆の術と、不可逆の術の二種類が存在する。

可逆というのは、術を解けば元に戻るものを指し、主に呪術がそれに該当する。おとぎ話のお姫様や王子様にかけられた魔法が解けるようなのがそれだ。

不可逆は、その真反対に位置し、ほとんどの魔術はこれに該当する。精霊魔術にしろ、神聖魔術にしろ、それは現象として引き起こされ、現実に影響を与えるからだ。燃やした薪を元に戻せと言われても、それはできないだろう。そういうことだ。

もしもそれを元に戻そうとするのなら、別の術を用いるだろうし、それをもってしてもそっくり元どおり、とはならないのが現在の不可逆の常識だ。

重い沈黙がその場を支配する。覚悟を、決めるしかないのか……。

「オレは魔術や魔法のことはわからないが……それは、もう何も、方法がないってことなのか?」

すんなり受け止めてしまったあたしとは違い、レオンは納得できないのか、眉間に皺を寄せている。

―今は元に戻せなくても、研究を続ければもしかしたら結果は変わるかもしれない。可能性は限りなくゼロに近いけど、魔女あたし達が見つけられていないだけってことも当然ある」

意外にも答えてくれたハンナの声は、妙に淡々としている。「だったら」と言いかけるレオンを、ハンナは制して続ける。

その声には、微かに怒気が滲んでいた。

「で、それ、何年何十年何百年後の話? 魔女が魔法の痕跡を解読して、解析して、調べるのに百年弱かかってる。人の一生じゃまず無理。それまであいつをどうするの。檻に閉じ込めるの? どうやって? そもそもあれを元に戻すための研究ってことは、あれを被験体にするってこと。人体実験を許容するなら何も言わないけど、その辺わかって発言してる?」

ハンナの説明に、レオンは絶句する。

あたしは、先程察してしまった事実を改めて並べられて、思わず地面に視線を落とした。

―そう、か……悪かった」

レオンも今の説明で、それがどれだけ無謀で泥の道か理解したのか、顔のシワを濃くしてハンナに謝った。

まず、彼を無事な状態で無力化する事が可能なのか。あれを見た後だと、正直難しいだろう。

それにあたしたちは、魔族を止めるために動いている。当然、そちらが最優先だ。すぐには、それほどまでに長い時を費やす事はできない。

魔女にお願いをして彼を任せることも、もしかしたらできるかもしれない。

それでも、やることは人体実験に近い事だ。それを許容できるかと言われたら、あたしには無理だ。

そして、もし彼が元に戻れたとしても、その時にはもうメルもあたしたちも、いない可能性の方が高い。

もしかしてアルは、そこまで見据えて「迷わず殺してくれ」と、あたしとレオンにお願いしたのだろうか……?

「ミナ、オレにまかせて下がってていいぞ」

あたしが躊躇する顔を見せていたからか、レオンが気遣う言葉をかけてくれた。気持ちは嬉しいが、その申し出は嬉しくはない。

それは、レオンに全てを押し付ける行為だからだ。

「ありがとう。けど、大丈夫よ。あたしだけ目と耳を塞いで物陰に隠れてるなんて、戦士の名が廃るもの。―人間だって知らない方が、まだやりやすかったと思うけど」

「すみません。お伝えした方がいいと、思いましたので」

アンナは謝るが、最後のは八つ当たりだ。別の意味で吐き気がする。

「あの……」

メルの声に、全員がびくりと体を震わせて、彼女を見た。

「はなしが、みえないんですが……。あれは、アル、なんですか……?」

「……。残念ですが、おそらくは」

アンナは言いにくそうに、だが今度はハッキリと、その事実を言葉にする。メルの瞳が揺らいだ。

「それじゃあ……アルは……アルを、ころすんですか?」

そのメルの問いかけに、誰も、何も答えられなかった。諦めたくないし、認めたくもないのに、答えだけは、そこに示されてしまっている。

「なんで……どうしてですか! かんがえれば、なにか」

「メル」

声を張り上げるメルを制したのは、またもハンナだった。

「さっき、そこの人間の男にも言った通りよ」

「でも―!」

レオンとは違い、感情が拒否しているメルに、ハンナはふぅ、と何かを諦めたように一つ息をついた。

―方法は、本当はないわけじゃない」

彼女の告白に、あたしもレオンも「え?」と目を瞠る。

「でしたら!」

「理論上は可能だと考えられてる、けど、物理的に不可能だともわかってしまってる」

聞き慣れない言い回しに、あたしは眉をしかめた。

「物理的に不可能って、どーゆーこと?」

白魔女フェイや、黒魔女ランダでさえ、それを理論通りに実行するには魔力がたりない」

ハンナのその一言は、あたしをゾッとさせるのには十分だった。

「つまり、どういうことだ?」

魔術方面が苦手なレオンのために、あたしは考えを口にする。

「魔力が足りないってことは、術が成立しない、または、失敗するってことと同じなのはわかる? 魔女は人間よりも内包できる魔力量が大きい。それでも足りないとなると、そんなことができる存在は限られるわ。

つまり、白魔女フェイの理論通りに術を行使なんてトンデモができるのは、魔族か神様くらいってことになるのよ。

―そういうことでいいんでしょ、ハンナ」

「人間のくせに理解が早いじゃない」

ハスに構えたハンナは相変わらず偉そうだ。だが、あたしの解釈はあっているらしい。

さらに逆を言えば、魔族化はそれとほぼ同等の魔力エネルギーが必要になると推察できる。ってことは、魔族化を行うには、魔女が持つ魔力よりもより膨大な魔力が必要になるのだろう。

だとすると、あいつがあの時「失敗」だと言っていたのは……。

ハンナの肯定まで聞いて、レオンは「そうか」と右側に提げている鞘に手を添える。壁の方に鋭い視線を向けた。

「壁から離れろ!」

「見ぃつけたぁ」

全員が―メルはレオンに抱えられて―壁から離れるようにしてその場を飛び退いた。壁が向こう側からの圧力で砕け弾ける!

「かくれんぼは終わりにしようじゃないかい。ねえ、お嬢ちゃん達」

土煙の向こうに浮かび上がるのは長髪の人型。長いスカートが風になびいているのがうっすらとわかる。その後ろからは、さらに長身の影もぬっと現れる。

土煙が収まった向こうには、町や村で見かける女性の日常着をまとった、ブロンズ髪をもつ灰色の肌の女性と、アルがいた。あの女も魔族か。

「見た目が変わっただけで逃げるなんて、このボウヤがかわいそうじゃないか。さあ、ヌヴァル達の相手をしておくれよ」

……相手?

あたしはそいつ―ヌヴァルの発言に眉を顰める。

「あんたもダッドの知り合いってわけ?」

「ああそうさ。同志ってやつかねぇ」

ヌヴァルは隠すでもなく、あっけらかんと肯定した。

しかし、それなら尚更わからない。前回はあんなにメルやあたしの指輪に固執していたのに、今回は「相手をしろ」と。

前回も妙だったが、なんだか今回も妙な違和感がある。

「レオンさん。メルさんは私が」

「悪い助かる」

レオンが抱えていたメルを、アンナが引き受ける。この方がレオンも立ち回りしやすいし、アンナの方が魔法で対応できる範囲が広い。メルを守るのには適している。

「ところで、あの魔族がアルさんを?」

「たぶん違う。もう一人、しわがれた声のやつがいるはずよ」

アンナの質問に、あたしは思考を中断して答える。とにかく、魔族を相手にするのに余計なことを考えている暇はない。

「準備はいいみたいだね。さあ、始めようじゃないか! 成り損ない、やっちまいなぁ!」

ヌヴァルが左手を高く掲げ、振り下ろした。それを合図に、アルが魔力弾を発射する。

あたしたちが避けた場所の土砂を巻き上げ、土煙が再び上がる。

あたしはすぐに対応できるように呪文を唱える。そこに月光を遮る影が近づいてきた。この大きさ、アルか!

あたしは一つ深呼吸をして、影を見据える。

烈光槍イリウセ・パオホ!」

白い光が槍状にあたしの手から伸び―うぇっ⁉︎

本来ならば、普通の槍と同じ太さと長さくらいになるものが、あたしの手中にある光はその倍に膨らんでいる。なにこれ、あたしの想定以上の出力が出てるっ⁉︎

あたしは慌ててそれをぶん投げて、手放す。狙いも定めず放り投げたそれは、アルの左脚を貫いていた。

「あっ、アル、ごめっ」

さらに刺さった膝から下が爆ぜる。アルが悲鳴のような咆哮を上げた。

……すぐに攻撃するつもりはなかったんだけど、えっと、どういうこと。

ここまでの威力は想定してなかったんだけど。まさか、神聖魔術の威力が強化されている、なんてことじゃ?

だとしたら、なんで……。と、あたしの視線は地面に行く。

―もしかして、場所の影響⁉︎

天使セイラルト族が長年住んだことで、土地そのものに呪術的な影響を与えていても不思議ではない。そういう話は、玉石混合にいくらでも転がっている。

もしこの場所の影響で神聖魔術が自然と強化されるのだとしたら、ちょっとマズい。

あたしは元々、神聖魔術は得意ではないのだ。今のは威力が低くて誰にでも扱いやすい術だったから良かったが、もし前回みたいに威力の高い術なんかを下手に使うと、制御できなくなる可能性が高い。

でも、とりあえずこれでアルの動きは制限―できたと思ったのも束の間、アルの傷口が徐々に治っていく。同時に周囲の壁が突然脆く崩れた。

これは、エネルギードレイン⁉︎ アルもダッドみたいに自己修復できるのか! 魔族化というだけはある。

さっきの感じ、防御結界が張られていないだけマシと考えるべきだろうけど、さて、神聖魔術は迂闊に使えなくなったし、どうしたものか……。

その時、左の方で大きな破裂音がして、あたしはそちらに気をとられる。ヌヴァルの髪が薄闇の中でもはっきりとわかるほど、大きくうねり、意思を持っているように何かに向かって伸びていた。その先には……ハンナ! 

彼女の方が厄介と踏んで向こうに行ったのか。

それにしても、あの服装で髪が伸びるのは、子供が遊ぶようなお人形さんを思い出して、ちょっと怖いぞ……。

ハンナはヌヴァルの髪を避けながら、手にしている緑の宝玉がついた白金杖から魔力弾をぶつけていた。それらはヌヴァルの髪の盾に阻まれている。

やっぱり気味が悪い……。

そういえば、いつもはすぐに加勢してくれるレオンは、どうしたのだろう。あたしはアルに剣を向けて警戒しながら、レオンの姿を探す。

見つけた彼の目の前には―ダッド! レオンは剣の切っ先を下に向けて構えたまま、ダッドと対峙していたのだ。

まだ姿を見せていない奴がいるってのに、さらにダッドまで⁉︎

焦るあたしだが、予想に反してダッドは、ただレオンに質問を投げただけだった。

「キサマ、名は」

突然の問いかけに、レオンは少しだけ悩み、

「……ウィンダム」

と、ファミリーネームだけを告げる。

「……ウィンダム……ああ。あのふざけた男の血筋に連なる者か……。なるほど、キサマがその剣を所持していることに、あらかた合点がいった」

あの男―? まるでレオンのご先祖様を実際に知っているような口ぶりだ。レオンの祖先に魔族の知り合いでもいたのだろうか? 前回からやけにレオンの「剣」を気にしているようだったけど。

そしてダッドは、それ以外何をするでもなくそのまま姿を消した。

な、なんだったんだ……?

回復したアルの魔力弾を避けながら、あたしは剣を魔力で強化し、アルの攻撃を捌きつつアルに呼びかけてみる。

しかしあたしの声には一向に反応する気配もなく、あたしは爪撃を避けて後退した。

レオンの方をもう一度見るも、レオンも拍子抜けだったのか、剣を構えたまま周囲を警戒している。

やっぱりなんだか、今回は向こうの行動が輪をかけて妙だ。もしかして、今回は指輪やメルの奪取が狙いじゃないんじゃ……。

だとしたら、一体なにをしたいんだ?

氷結裂リウジビ・ルヒ!」

アルに向かってかざした手のひらから、氷の礫が複数顔に向かって発射される。

ただの氷と思ったのか、避ける必要もないと踏んだのか、その礫はアルの顔面から首にかけて直撃する。着弾した場所から、氷がビキビキッと音を立てて広がり、アルを氷に閉じ込めていく―が、突如パキャンっと軽い音を立て、氷だけが砕け散る。

本来なら対象を氷に閉じ込めて砕く術なのだが、やっぱり精霊魔術じゃ、期待はできないか。

あたしは、アルを見据えて、ひとつ大きく深呼吸をする。

ダメージを与えるなら、やはり神聖魔術である必要がある。向こうが無尽蔵に回復できるのなら、長期戦になればなるほど、魔力量に限界があるこちらが不利になる。

彼を止めるなら、急所狙いの短期戦のみ。

タイミングを見計らって、今度は最小威力で烈光槍イリウセ・パオホの呪文を唱える。

先ほどと同じくそれは、あたしの想定を超えた威力に膨らんだ。だが、先ほどみたいに自分の制御コントロールを離れそうになるくらいまでには膨らまない。

あたしはそれを、アルの頭部めがけて投げつけた。白光の槍はアルの喉元を貫き、先ほどの脚と同じく、鎖骨付近から上が爆ぜた。

頭部を失った胴体が、声もなくゆっくりと地面に倒れる。動き出さないのを確認して、あたしは肺が空になるまで息を吐き、背中を向けた。

覚悟はしていたけど、気分のいいものではない。魔法でぶっぱすればいいとかほざいていた村の大人は誰だ、恨むぞ。

―あたし今日寝れるかな……。

そこにようやく、レオンが倒れたアルの方を見つめながら合流する。

「ミナ、アルは……」

「あれで生きてられる生物がいるなら、見てみたいわよ。それよりダッドは?」

レオンは首を横に振る。

「よくわからん。敵意は感じなかったし、近くに気配も感じないし、たぶん、いないと思うんだが」

「そう……」

レオンがそう言うなら、今回のダッドはそうだったのだろう。前回対峙した時にダッドの殺気は知っているし、向こうにその気があったのなら、彼がわからないはずはない。

「ミナ、大丈夫か?」

「……うん、まあ……たぶん」

あたしは曖昧に返事をして、今回の魔族達の動きを省みる。

今回、ダッドはあたしたちと交戦する気がない。戦闘状態なのは―と、あたしはハンナの状況を確認する。

ハンナとヌヴァルはこちらの手の届かなそうな空中戦をしている。

「噂に聞いていた割には、ちゃちな攻撃しかしてこないじゃないかい」

ゴウッと迫ったヌヴァルの髪を、ハンナはそよ風でも吹き付けたような顔で、杖で弾いている。

「悪いけど、ちょっと想定外で調整中なのよ」

ヌヴァルの髪から上へと逃れたハンナはすっと杖を振りかざす。白い閃光が闇夜を裂き、耳をつん裂くような雷鳴が轟いた。ヌヴァルは自分に落ちてきた落雷を、あろうことか髪で絡めとり、自ら頭髪を途中で切り棄てた。ヌヴァルから切り離された髪は雷に焼かれ燃え尽きる。

ヌヴァルの髪が燃えたということは、ただの稲妻じゃなさそうだ。しかし、魔族とはいえ防ぎ方がむちゃくちゃである。

―とまあ、向こうでハンナと戦っているヌヴァルと、アルと、もう一体の魔族。その、いまだ姿を見せないもう一体は、アルをメルの目の前で魔族化した。

だめだ、全く繋がらない。アルといえば、あたしたちに何かを伝えようとしていたし、あたしたちに「メルの心を守ってほしい」とお願いしていた。その真意はまだよくわからないが……そういえば、なんか妙なことを言っていたような。

「ミナっ!」

考え事をしていたあたしは、それに気づくのに遅れた。

背後を振り返り、アルがのを認識したのと、レオンがあたしを庇うように前に出たのは、ほぼ同時だった。

確かに砕いたはずのアルの頭部が、再生してる―っ⁉︎

驚愕で目を見開いた直後、あたしはレオンとともに、アルに吹き飛ばされていた。

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