三、天近き、沈黙の丘 - 7

MIND STRONG ADVENTURES ! エヴィンハルハの天使

三、天近き、沈黙の丘 - 8

役目を終えた土が崩れて、左腕で腹部を押さえながら倒れ込む。その際、あたしはせり上がってきた鉄味のものをごぼっと吐き出した。

追い打ちのように背中を杖で抑えられて、あたしはもう一度小さく呻く。

「ミナさん―っ⁉︎」

メルの悲鳴に、あたしは視線だけを声の方に動かす。集中が途切れたのか、メル越しにアルの結界にヒビが入るのが見えた。 

「急所は外したよ。おや、そっちの失敗作の結界が壊れそうだぞ。さてさて、どうする? 天使の娘御」

まただ。「失敗作」「成り損ない」。あいつらは、アルのことをずっとそう呼んでいる。

アンナの説明も踏まえてそのまま捉えるなら、魔族の特性を持ちながら完全な魔族に成り損ねた、失敗作―?

思考がそこまで巡ったところで、腹部の傷が主張するようにズキリと痛む。あたしは反射的に奥歯を噛み締めた。

急所を外したとは、よく言ってくれる。吐血した時点で内臓が損傷して出血してるだろうが。止血しないと、そうそうに意識が飛びそうだ。

痛みをやり過ごしてから、全ての魔術を解除すると、魔力を腹部の傷の回復に全てあてがう。

あたしは他人ひとよりすこーしばかり身体が丈夫だ。それは、魔術師としてのあたしの特性みたいなものだったりする。

魔術師は、魔術を学ぶ過程で体内魔力が洗練され、体に何かしらの特性が現れる。

あたしにとってはそれが「ちょっと他人より身体が丈夫」だったのだ。

と言っても、この特性、そんなに便利なものでもなく、何にも意識しない時は、他人よりも毛が生えた程度に傷の治りが早くて、流行病にかからない程度の恩恵しかない。この特性をフルで使おうとすると、今度は魔術に回せる魔力が一切なくなるものだから、使い所を選ぶのだ。

その特性を、今はフル活用して止血と治癒能力に回しているので血はすぐに止まるはずだが、その間、あたしは魔術は使えない。

止血したところで無理に動こうとすればまた傷が開くので、結局フル活用し続けないと、あたしは戦力としては動けそうにない。

そうなると問題は、この状況をどうするか、だ。

その時、視界の端を白い閃光が掠り、魔族があたしから離れるのが見えた。背中の圧がなくなり、軽くなる。

あたしは、剣を支えに片膝立ちの姿勢になんとか起きあがる。

「何やってんのよ、三流!」

声に上向けば、ハンナが降下して来ている所だった。彼女は、あたしの隣に着地する。

「三流は余計よ……」

三流呼ばわりにお礼を言うのも癪なので、ゆっくり立ち上がりながら、あたしは口の中で言い返した。

「メルはアルに集中しなさい!」

メルに届くようにかすれた声を張り上げると、さすがに傷が痛んで、あたしは顔を歪める。

メルはこちらをまだ気にかけているが、結界のヒビは修復された。

「ところで、あんたが相手にしてたやつは?」

ハンナがこちらに来たのに、ヌヴァルが追ってくる気配がない。

ハンナが空を指さしたので、首を巡らせると、ヌヴァルが宙で不自然に固まっていた。

―いや、もがくように身体が微かに動いている。何してるんだろう。

「ほう……これはこれは。ワシら魔族を魔力ごとその場に縫い止めたか。これは驚いた」

緑のローブの魔族が、同じようにヌヴァルを見上げ、目を細めて感心している。

魔力ごと―って、てんで想像ができないのだが、魔族が感心しているのを見るに、相当とんでもない芸当をやってのけてる、ってことなんだろう。たぶん。

「さすがは、忌み子﹅﹅﹅と噂に聞くだけはある。白魔女フェイを仲間に引き入れたのは、ちと想定外だったかのぅ」

魔族の発した単語に、あたしは少しだけ大きく目を開いた。

忌み子……ハンナが?

横目でちらりと彼女を見るが、ハンナはそれに対して何も答えない。それどころか眉ひとつ変化が見られなかった。

やーっぱり、この双子はなんかありそうだ。が、こーゆーデリケートな話題は、簡単に触れていいものではない。

あたしは彼女にそのことを尋ねることはせず、別のことで魔族に話しかけた。

「あんた、ロシャムードよね」

「天使族の娘御から聞いておろう?」

「答えてくれるなら聞きたいんだけど、あんたたちの言う『失敗作』ってのは、何を指して『失敗』なの」

ロシャムードの目が、嬉しそうに三日月型に歪む。「ふぇふぇふぇ」と愉快そうに肩を揺らした。

「お前さん、鋭いねぇ。嫌いじゃないが、教えてやる義理もないねぇ」

ちっ、答える気はないか。だったら。

「じゃあ、勝手に喋るけど。あれは、術として完成しているものなの?」

「さあて、どれのことだか」

「アルをあーした術のことよ」

「はてはて、どうだったかのぅ」

「魔術や魔法の失敗って、魔術式・魔法式そのものが未完成な場合、または間違えた場合、発動途中で魔力が足りなくなる場合、精霊にそっぽを向かれる場合……って色々あると思うんだけど」

「お前さん、勉強熱心なことだねぇ」

こいつ、あくまでも答える気はないようだ。

だがまあ、こちらとしては時間を稼げれば、どっちでもいいか。もう少しでギリギリ動けるまでには持っていけそうだ。

「状況で分けると、術を行使する前からわかっている結果か、術を行使してからじゃないとわからない結果に分かれると思うのよ。

あんたたちにとっての『失敗』がどっちだったのか。そこがあたし、わからないのよ」

そして、疑問はもう一つ。

「そもそも、どうしてアルを魔族化したの」

今あたしの中で考えられるのは、精神的揺さぶり―特にメルに対してだが、それをする理由が、さっぱりわからない。

当然この問い掛けも答える気はないだろう、とあたしは思っていた。

ところが、今まで適当に流す受け答えをしていたロシャムードが、この問いにだけはあっさりと答えたのだ。

「そいつぁ、その少年とはそういう取引だったからだよ」

「とり、ひき?」

アルが、魔族になることが?

あたしやメルの反応がお気に召したのか、ロシャムードは先程よりも目が細くなるほどに頰を持ち上げる。

「契約とでも言えばよいかねぇ。少年が再び恋い焦がれた少女と会う条件が、ワシの実験動物さ。ふぇふぇふぇ、ロマンチックだねぇ」

こいつ―っ!

ロマンチックだと? 今の話のどこがっ! アルの気持ちを利用しただけじゃないかっ!

「ああ、いい顔だいい顔だ」

ロシャムードは満足そうに、肩を揺らして嗤っている。

「言うとくが、承諾したのは向こうだ。そんな風に怒ると視野が狭くなるぞ。ほぉれ、こんな風にな」

バキン―と硬い膜が割れる音が響く。アルの結界が壊れたのだ。今の話でメルが動揺したせいかっ。驚いた顔で結界に振り返っている彼女に、アルの手が伸びる。

あたしは、何も考えずにメルの方へと駆け出していた。

それとほぼ同じくして、どこか空中で、ブチン、と太い縄が途切れるような音がした。

舌打ちする音とともに、近くにいたハンナの姿が一瞬で消える。次の瞬間には、上空で何かと何かがぶつかる音がした。

上空というと、ヌヴァルの術が解かれたか!

自分から行ったのだから、そっちはハンナに任せて大丈夫だろう。

「メル、下がってっ!」

メルと入れ替わるようにして、あたしはアルの爪を剣の腹で受け流す。さすがに術をかけていない剣でまともに受け止めるのは無理がある。

レオン程もないあたしの剣の腕じゃ、攻撃も通じないだろうが、メルが触れる隙を作るくらいなら。

「お前さん、もう動けるとは大したもんだが、ワシを忘れちゃあ、いないかい」

あたしの背後で、しわがれた声がする。

こいつ、本格的に戦闘に混ざる気か⁉︎ さっきまでコソコソ隠れてたくせに!

「ミナさんはアルさんに集中を!」

降って湧く声と、聞き慣れた男の雄叫び。

ロシャムードが逃れるように飛び退った場所を、レオンの剣が空振りした。

「レオン!」

よかった、無事だった!

アンナに大丈夫だと言われても、無事な姿を見れると、安心する。

「そっちは大丈夫か?」

「こっちはあたしとメルでなんとかするから、あいつを抑えて欲しいの」

あたしの返答にレオンは物言いたげな顔をした。だが、それも束の間。横から飛んできた魔力弾に、彼は応戦する。

「わかった。こっちは任せろ。―無理はするなよ」

レオンがロシャムードを追いかけ、アンナが入れ替わるようにそこに来る。

「ミナさん、お待たせいたしました」

「あたしは大丈夫だから、レオンをお願い」

アンナが何かを申し出る前に、あたしはアンナにお願いする。

あたしの腹部に流血の後があるのが見えているのだろう。アンナはレオンの方に向かうことを躊躇する。

「こっちはなんとかするから、お願い!」 

あたしは、アルの攻撃をいなしながら、重ねてアンナに頼む。

いくら死んだ剣イナクティブ・ソードがあるとはいえ、防具が破壊されている以上、不安は残る。

いざとなれば、あたしが魔術を使えばいいし、たぶん、アンナにはレオンについてもらった方がいいはずだ。

―わかりました。レオンさんは私が援護します。ミナさんも、ご無理をなさらないよう」

二人に立て続けに「無理をするな」と言われたが、無理をせずにいられる状況でもないだろう。

アンナが行ったのを確認すると、あたしは一度距離をとってメルのところまで退がる。

「メル、あたしがなんとか隙を作るから、後はやりたいようにやってちょうだい」

「ほ、ほんとうに、ケガは、だいじょうぶなんですか……?」

メルの心配に、あたしは無理やり笑顔を作る。

「この通り、大丈夫よ」

―わかりました。おねがいします!」

いい返事が返ってきた。

さて、言った手前どうやって魔術抜きでアルの動きを止めるか。

やっぱりちょっと無茶をして、魔術を使うか……そう考えた時、無意識にお腹を押さえたあたしの指に、硬い感触が伝わる。

あ、そうだ。

持ち歩いている隠しナイフには、あたしの体内魔力とは別に、あたしの魔力が宿っているのだ。

さっき腹部に受けた攻撃で、いくつか砕けてはいるが、魔力はまだ残っている。どうせほっとけば消える魔力だ。これをうまく使えないだろうか。

あたしは、使える機会を窺うためにも、再びアルとの距離を詰める。

必要なのは、アルの腕と、足を止めること。それもメルが触れられる一瞬でいい―それなら。

あたしは左手に砕けたナイフの欠片を握れるだけ握り、呪文を唱え、準備する。

メルとアルの間からは外れないよう、なるべく傷に響かないよう、必要最小限の動きでアルの攻撃を避けていく。

直撃さえ避ければ一先ずなんとかなるのだが、さすがにこちらも無傷とはいかず、手袋や腕や顔にすり傷切り傷かすり傷が増えていく。

攻撃が当たらないことに焦れたのだろうか。アルが口に魔力を溜め始めた。

きたっ!

刀影縫ウォス・ワデッシュ!」

あたしは弟月エタリアルに照らし出されたアルの影に、先ほど握っていた大量の欠片をぶち撒ける!

複数のナイフの欠片が、アルの影の上から地面を突き刺し、アルの動きが、止まる。

アルは、魔力を溜める時に一番動きが鈍くなる。その隙でも突かないと、とてもこちらも、ひ弱な術をかけられそうになかったのだ。

さらに今回は一つに強力な術ではなく、複数で弱い術になる。言ってみれば、布を木の板に短い鋲で何箇所も打ち付けたような状態のはず。全て解除するのにも多少時間がかかるはずだ。

「メル!」

あたしが呼びかけるよりも早く、メルはアルの後ろに回り込もうとしていた。

その間にも、ぶち撒けられたナイフの欠片が一つ、二つと、地面から弾け飛んでいく。

だが、それらが全て弾け飛び、アルが再び自由を手に入れるよりもわずかに早く、メルの手がアルに届く。

次の瞬間―アルは塵と崩れていた。

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