ただいま見参! 想起録 第一話

序章

春の陽気な気候が程よい暑さへと変わる時節。山の桜はとうに青々とした葉へと変わっている。

背の中ほどまで届く長い黒髪を後ろで束ねた少女が、里の中央に真っ直ぐ向かっていた。手には水がたっぷりと入った水桶。両手でそれを持っているが、足取りは軽い。彼女は普段、複数人の友人と一緒にいるが、今日は珍しく一人だ。

里の中央をそのまま通り抜けようとして、そこにある井戸端に何気なく目をやった少女、由利ゆりは、西に向けかけた足を唐突に止めた。

由利が顔を向ける井戸端には、三人の人間がいた。二人は由利よりも年上の女性。年齢的には由利から見て母親くらいである。残る一人は由利と背が同じくらいの、年下と思える少年だった。

女性二人は見知った顔だ。里に住む人間で、情報収集を主とするくのいちだ。

しかし、少年の方は見たことがなかった。顔を俯けて、どうにも暗い雰囲気がまとわりついている。少年を見る女性二人も心なしか困っているように見える。

「ミツさん、カヤタさん、どうかしたの?」

三人に近づいて、由利は軽く女性二人に話しかけた。

声をかけられて、初めて由利の存在に気付いた二人は、慌てて片膝を地面につこうとする。が、声をかけた当人に即座に止められた。

「父上ならともかく、私の前は別にいいわ」

その言葉に、女性二人は膝をつく代わりに軽く首を垂れ、礼を口にした。

「さようですか、由利様」

「お言葉に甘え、失礼させていただきます」

「……特別扱いされてもあれだけど……」

年下の自分が格上として扱われるのは、どうにも違和感がある。偉いのは自分の父親であって、自分自身はただの一忍びだと思っているからだ。

しかし、それは由利が常々勝手に思っていたことであり、今この場でどうこう言う問題ではない。由利はもう一度先程の問いを口にした。

「それで、どうかしたの? その子初めて見るけど」

女性二人は困ったようにお互いの顔を見合わせる。

その動作に、由利は軽く首を傾げた。まるでどちらが事情を説明するのかを、目で相談しているようだ。

しかしそれも僅かなこと。すぐに少年の右に立つ女性が口を開いた。

「また、……拾い子でございます」

由利は軽く目を見開く。がすぐにつらそうにその目を細めた。

「……そっか、また」

「はい……。連れて来た者の話では、戦火に、焼かれたそうにございます」

もう一人の女性が、少年の事情を軽くつけたす。

「連れて来たのは、二人じゃないの?」

「はい。その者は今、邸の方に―長にご報告に上がっていると思いますが」

女性にそう言われて、由利は顎に手を当ててここに来るまでの記憶をたどり始めた。

長がいる邸。そこは由利の住まいでもある。今日もそこからここに来たのだから、すれ違っているはずである。

「まあ、いっか」

後で戻った時に長にでも聞けばいい話だ。今考える事でもない。

「それで、その子どうするの?」

「それを今から、話し合おうとしていた所だったのですが……」

「だったら、井戸端じゃなくて家の中でしたら? ……て、あ」

少年の方を見てあることに気づく。

―着物が、血や泥で汚れていた。

この二人は、少年の汚れを洗い流そうと井戸端まで連れて来たのだろう。

だが、血で汚れているということは。

「怪我、してるの?」

ほんの少しこわばった声に、女性は慌てて答える。

「ヒドイ怪我ではありません。逃げる時にでも草木で切ったか擦りむいたのでしょう」

「なら、よかった」

由利は心なしかほっとしたようだ。少年の前で水桶を置き、屈みこむ。目の位置が高くなった少年の顔を見上げると、話しかけた。

「怖かったでしょ? ここまで来れば、とりあえず大丈夫よ。これからどうするか。―それは全部貴方次第よ」

言った瞬間、少年は俯けた顔を唐突に上げて、突然拳を振り上げた。

パシッ。

軽い音がして、由利は片手でその拳を受け止めていた。

「こ、こら! 由利様に何をっ!」

「いいのよ」

「ですがっ」

「私がいいって言ってるの」

その一言でうろたえる二人を黙らせると、由利は拳を掴んだまま、少年の顔を見た。

「私を睨んだって、何にもならないわよ」

そう言って薄く微笑む。少年はわなわなと唇を小さく開いたが、段々と感情的に声を張り上げていった

―んで、助けた。なんで、助けたんだよ。オレだけ!」

「知らないわよ、そんなの。それは私じゃなくて、貴方を助けた人に言って」

由利は軽く返す。自分は彼を助けた所に居合わせてはいないのだ。そんなこと知るわけがない。

しかし、少年は引かない。

「お前らが、来るのが遅かったから」

「関係ないわ。私達は別に未然に事を防ぐことを生業にしてるわけじゃない。たまたま近くで突発的に起きただけ。私達はそれに出会ったら、生存者を捜して引き取ることにしている。ただそれだけよ」

「でも―っ…………」

ただ感情まかせに由利にぶつかっていた少年は、返す言葉を見つけられずに黙りこむ。由利は構わず言葉をつづけた。

「自分ひとりだけ助かったのがそんなに嫌なら、勝手に死ねばいい。―言ったでしょ。これからどうするかは、貴方次第だって」

由利の淀みのない真っ直ぐな言葉に、少年は顔を俯けた。

「ゆ、由利様!」

「何?」

「彼は全てを失ったばかりで」

「でも、実際その通りでしょ? ほら、今私に八つ当たりして少しは気分、晴れたんじゃない?」

からっと笑う由利は気にした風もない。

「ですが」

いきなり死にたかったら勝手にすれば、と言うのはどうなのだろうか。女性二人は由利の発言に先程よりもうろたえていた。

「…………」

死ぬも生きるもあんたの勝手。由利は少年に向かってそう言った。そして、これからどう生きていくのかも好きなようにしろ、と。少年はそれに対してただ黙って地面を睨みつけるだけだった。

「じゃあ二人とも、彼の事よろしくね」

「それはもちろんですが。 ―あの、そういえばどちらへ?」

水桶を持って立ちあがった由利に、女性はハタと気づいて尋ねてみた。

「畑に水撒きだけど?」

西の方を指さして「それがどうかした?」と由利は逆に聞き返した。

「そそそんな、由利様がなさることではっ!」

「そうです。畑の水やりなど私どもに任せていてくだされば」

「あ、違うの。今安杏あんずが茄子を育てていてね、一応皆で暇な時に見まわろうってことで。ほら、安杏今いろいろ忙しいし」

安杏というのは、邸で一緒に過ごしている由利の妹のような存在だ。

「そ、そうですか」

「うん。じゃあそろそろ行くね」

由利が水桶を揺らしながらぱたぱたと走り去っていく。その後ろ姿を見て、女性二人は軽く苦笑していた。

「全く由利様ときたら」

「昔から全く変わらないんですから」

「本当、真っ直ぐであられて」

少年は女性二人を見た。

明らかに彼女たちよりも歳が少ないのに、目上扱いをしている。それが、少年には不思議だった。

「……今の人は?」

「由利様だよ。この里の長の一人娘さ」

「由利様はお優しい方でね、実に長の姫君らしいお方なんだよ」

二人の説明に、少年は由利が去った方をなんとなく見やる。

「長の……娘―」

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想起録 第一話

  1. 序章
  2. 終幕
  3. あとがき