ただいま見参!想起録 第一話 - 肆

ただいま見参! 想起録 第一話

早朝。まだほんのり薄暗い時刻に、由利ゆりは目が覚めた。

ぼーっとする頭で、しばし天井を見つめていたが、昨夜の事を思い出してがばっ、と身を起こした。すぐに自分の居場所を確認する。

記憶は、桃琥と問答をしている所で途切れていた。

「あれ…………、へや……。―私、昨日いつどうやって帰って……」

口に親指を当ててほんの少し悩む仕草を見せた後、思い出すのを諦めたように布団から抜けだした。由利は寝巻のまま内廊下に出る。そうして、隣にある男部屋の襖を静かに引き開けた。

その中では、男子二人が布団を並べて、寝息を立てている。

和丸かずまるの枕元に膝をつき、耳元で囁いた。

―居間に来て。

由利はそのまま部屋を後にした。

耳元でささやかれた言葉で目が覚めた和丸は、一つ寝がえりを打って入口の方を細く開いた瞳で見やった。

由利の後ろ姿が見えたので、隣で寝ている葉助ようすけを起こさないよう、布団から這い出る。

着替えると流石に騒がしいので、着替えないで居間に入ると、由利が背筋を正して座っていた。

前に座るように指で示されたので、和丸は素直にそこに腰を降ろした。

「ねえ、春輝かずき

和丸が腰を据えたのを確認すると、由利は目線を下ろしたまま話を始めた。しかも、いきなり本名呼びと来た。

「あんたは、私が見合い話を断ってること、何にも思わないの」

「は?」

和丸は虚を突かれて、不覚にも言葉が出てこなかった。

「私はこの里に残って、父上の跡を継ぎたい。でもそうするには、私には力が足りない。私の考えてること、春輝なら気づいてくれると思ってたんだけど」

和丸はそれこそしばらく唖然とした。寝起きの頭を働かせるようにこめかみを揉みながら由利をジトッとした目で見る。

「あーそれは何か? お前が長を継ぎたいから俺に一緒になって欲しいってことか?」

自分でその台詞を声に出してみて、腹の底から怒りが湧いてきた。

「そこにお前の気持ちはあるのか? 利害だけの婚礼を、お前は平気で受け入れるのか? 大体、長ならそんなこと気にしないだろ」

「……父上が気にしなくても、周りが気にする」

「里の皆は、見た感じお前のこと気にいってるぞ」

「…………」

由利は黙りこんで俯いた。

和丸はその様子に溜息をつく。なんだろう、最近溜息を付くことが多い気がする。

「あのさ―俺はお前のこと……好き、なんだ」

口にしてみてもすごく恥ずかしい。それでも、和丸にとってこれはすごく大事なことなので、ちゃんと伝えなければならない。

「だから、想いを伴わない婚礼は、願い下げだ。実力がある奴だったら、俺以外にもいるだろ。そいつにでも頼めよ。それが嫌なら、お前の〝理由〟じゃなくて、お前の〝気持ち〟を聞かせてくれ」

つい癖で嫌味っぽい言い方になってしまうのに、自分で少しだけ嫌な気持ちになる。それでも和丸は由利から目を逸らさずに、彼女の返事を待った。

由利は少しして「ふぅ」と息を漏らした。同時に彼女の肩の力がふっ、と抜けた。

―一つ聞いていい? 誰かと一緒にいて楽しいとか、顔を見ると嬉しいと思うっていうのは、その人のこと好きってことだよね?」

「は? そうじゃねえの?」

「じゃあさ、その好きと、春輝が私の事好きっていうのは、同じこと?」

「いや、違うけど」

「やっぱ、そうなんだよね」

そこで初めて由利は和丸の顔を見た。何かを決意したような、けれどどこか寂しげな表情で。

「春輝は私の記憶のこと知ってるから、これも話しとくね」

一呼吸後、眉を八の字にして少し困ったような顔で、由利は告白した。

「私、感情が欠けてる、みたい」

和丸は思わず耳を疑った。由利の告白は続いていく。

「なんていうのかな。きっとそういう事なんだろうなって、感覚で覚えてるけど、ちゃんと理解できてる訳じゃないと思うんだ。さっきの話だけど、本当は〝好き〟っていうのもよくわかってなくて、好きって言うのはきっとそういうもので、だから私は皆が好きなんだろうなって、そう思ってる」

だから、と由利は続けた。

「私は、想いを寄せられても誰にも想いを返せない」

言われて―彼は何も返せなかった。

今まで怒ったり、笑ったり、拗ねたり、いろんな表情を見せていた由利と、実は感情がわからないと言う由利。それがあまりに結びつかなくて、何かの冗談じゃないかと思う程に衝撃的なことだった。それぞれの表情をしながら、その裏で本心はその表情の意味を理解していなかったのだとしたら、それに気づけなかった自分にも、気づかせなかった彼女自身にも、驚きを隠せない。

その衝撃から抜け切る前に、由利は胸に手を当てて一つ深呼吸して、告げた。

―それでも、あんたに理由が必要って言うなら。春輝の傍にいてやりたいじゃ、だめなの……?」

「由利……」

和丸は目を瞠る。

「好きかどうかって話はわかんないけど、これはわかるから」

由利は思い出すように瞼を閉じる。

春輝と初めて会って、他の皆が里に来て、それで一緒に過ごすうちに気付いた。―誰も、春輝を知ってる様子がないことに。

皆が皆、彼のことを当然のように〝和丸〟とだけ呼んでいた。

「だから、きっと私だけなんだって。あんたの名前を知ってるのは私だけなんだって、思ったの」

だったら、本当の名前を呼べるのが私だけなら、いつでも呼んであげられるように、彼の傍に居てあげたい―いつからか、由利はそう思うようになっていた。

見開いていた瞳が、気まずげに空を彷徨った。少しして、膝の上で両掌を握り、彼は頭を垂れる。

「……悪ぃ。キツイ言い方した」

珍しく彼が小さい声だが、謝った。由利は首を左右に振る。

「気にしてない」

「最初の話、だけど……。俺はやっぱりお前が特別な意味で好きだから」

「うん」

「……こういう場合、俺って婿入り?」

「うん」

「長が起きたら、話、してみる」

―うん」

由利は目を細めて嬉しそうに頷いた。

その日の午前中、里がせわしなく動き始める頃、桃琥とうくが由利を訪ねてこっそりと庭から侵入してきた。

最初桃琥を見た由利達は、一瞬誰かと目を疑った。

今までの様な忍び装束やきちんとした普段着ではなく、もっと着崩された変な格好をしていたのだ。

顔にかかる髪は、片方は束ねられて瑪瑙の丸玉で留められている。服装に関しても、今では貴族や神官以外は滅多に着ない狩衣を、前留めは外し、袖も通さずに邪魔にならない程度に腰に巻きつけてあるといった始末だった。

桃琥に服装の事について尋ねると、

「オレなりのお洒落です」

と一言返された。

「昨夜は申し訳ありませんでした。オレの粗相で由利さんを気絶させてしまうとは。和丸さんが通りかかってくれて助かりましたよ」

そう言って庭先で話を切り出した桃琥に、縁に集まった由利と和丸以外の仲間がどちらかの顔を一様に見た。

「んで?」

柱に寄りかかる和丸が先を促す。

「そうですね、何から話したものかと思いますが―とりあえず先に仕事を済まさせていただきますね」

言うやいなや、桃琥は両掌を景気良く一つ打ち合わせた。何事かと周りが静観していると、屋敷の方から白い物が数枚飛んできて桃琥の手の中に収まった。

「あっ、それ」

それの正体に気付いた安杏あんずが声を上げる。それは、安杏が片付けていたあの白い紙切れだった。桃琥が横目で安杏を少しだけ見る。しかし、すぐに由利の方に視線を向けた。

「これを踏まえて、まずはオレの出自を先に話した方が早いですね」

「ああ、それなら」

和丸が懐から一冊の書物を取り出して、ほらっ、と桃琥に投げて渡す。

受け取って表紙を見た桃琥は、目を丸くして息を呑んだ。

「それ、陰陽師とかってのが使う本だろ?」

さらりと桃琥の出自を告げた和丸に、桃琥が驚いた顔向ける。

「な、なんでこれっ! いったい何処からっ⁉」

「お前の故郷から。ちょっと調べさせてもらっただけだ。気ニスンナ」

「オレの……故郷から?」

目を瞠って微動だにしない桃琥に、和丸が溜息をついて付け加える。

「燃え残ってたのはそれだけだ。他には何も見つかんなかったぞ」

「いえ……」

和丸の面倒臭そうな言葉に、桃琥は軽く首を横に振り、書物を大事そうに両腕で抱え込む。

「これだけで、十分です。これだけで―この一冊でもあれば、オレは家族を思い出せる。もう誰もいなくても踏みとどまれる」

ほんの少し涙ぐんだ声を出す桃琥は、しかしすぐに手の甲で顔を拭い、由利達の方を見た。

「オレの本名は弓削ゆげ桃琥。和丸さんの言う通り、流れ陰陽師の末裔です」

「弓削……?」

これに反応したのは葉助だった。

彼が何を連想したのかに気づいたのか、桃琥は言葉を重ねた。

「確かにオレの姓は〝弓削〟ですが、あの弓削氏とは関係ないと聞いています」

あの、というのは平安時代に有名な陰陽師・弓削氏のことである。

「ああ、なんだ。びっくりした」

「系図をちゃんと見たことがあるわけではないのでオレもよく知りませんが、弓職人の方だと思いますよ。副職で弓作ってましたから」

それで、と桃琥は先ほどの紙切れを由利達に見せる。それは人型のような形をしており、中心に墨で何かしら文字が書かれていた。

「これはオレが作った式です。失礼ですが、情報集めの為に邸に放たせていただきました」

「情報集め? って、あそっか。桃琥くんの村を襲った人達の情報が欲しかったんだっけ」

由利の言葉に桃琥は「はい」と式を放った目的を肯定した。

「それ以外に特に害はない代物ですし、今全て回収しましたから、安心してください」

そう言って式を袂にしまうと、今度は後ろに手を回した。

「さて、後はこれですかね。次期長殿に隠し事はよした方がいいでしょうから」

スッ、と回した腕を引くと、桃琥の後ろから一振りの剣が姿を見せた。

由利を囲む全員の目が険しくなる。

「別に由利さんを獲って食おうって訳じゃありませんから、そんなに警戒しないでください。大体、この剣で生身の人間は殺せませんよ。出来て一時的に行動不能にするくらいです」

そう言って、彼はおもむろにその剣で自分の腕を突き刺した。

「何してるのっ⁉」

由利が顔を強張らせ、菜津が非難めいた言葉を発する。

しかし桃琥はけろっとした顔で剣を引き抜いた。引き抜いた後の腕には、傷一つ残っていない。

「え―ええっ⁉ ど、どうなってんのっ?」

しずかが目を丸くして、興味深々な瞳で剣と傷一つ付いていない腕とを交互に見やる。

他は言葉を失くしていた。

「どうもこうも、見ていただいた通りです。これは肉体には傷はつけません。これで傷をつけられるのは、実体のない物のみです」

「実体がないって……例えば?」

「気の集まり所とか幽霊とか―妖とか」

〝妖〟と言われた瞬間、安杏がびくり、と反応する。が、何も言わずに押し黙っている。

「妖に実体がないかと言われるとちょっとオレも首を傾げるんですが、でも実際、これで妖が斬れるのは事実らしいので」

「で、そんなあんま役にも立たなそうな剣で何しようってんだ?」

「役に立たなそうって―これでも一族に代々伝わっている宝剣なんですよ。まあ、いつどこでどういった経緯でこんな不可思議な剣を手に入れたのかは知らず終いですが」

不機嫌そうに吐き捨てると、桃琥は片膝をついて由利の前で剣を横にする。

「先程も言ったように、オレがこの剣を所持している、ということを由利さんに把握しておいていただきたかっただけです。これがどういう剣であるのかも」

由利は自分の前に差し出された剣を柄頭から切っ先まで流して見てから、「わかった」と頷いた。

剣を再び腰後ろにしまうと、桃琥は立ち上がって一枚だけ袂から式を取り出した。

「それにしても、数が少ないと思ったら……。まさか視える方がいるとは思いませんでしたよ。面白い方がこの里にはいらっしゃるんですね」

そう言って桃琥は横目で安杏の方を見た。

その視線の先に気づいて、由利が慌てたように口を開く。

「なんのことかな、桃琥くん」

「そこの安杏さんでしたっけ? あなた―妖の気が混ざってますけど」

安杏が口をへの字に曲げて困った顔をする。そのまま右隣にいた菜津なつを見た。

安杏の助けを求める視線に、菜津が桃琥に同じく困ったような顔でお願いをした。

「桃琥くん。お願いだから、そのことはこの場にいる人達以外には内緒にしてくれないかしら」

「そう仰せになるのでしたら言いません」

「それから、桃琥くん。一つ勘違いをしているわ」

由利が菜津の後ろを続けた。

「安杏は人間よ」

桃琥は二、三度瞬きをしたが、その言葉の意味をなんとなく理解したのか「はい」と一つ頷いた。

「これでオレからの事情説明は以上です」

そこで由利が「あれ?」と首を傾げた。

「ねえねえ桃琥くん。結局私の事はどうなったの?」

由利としては昨日の夜の事が一番気になる所なのだが、どう聞いたものか少しだけ悩んでそう聞いてみた。

「由利のことって、由利が好きとかどうとか言ってたこと?」

静が由利に確認する。由利が一つ頷いた。

「その事で昨日の夜、桃琥くんと話してた気がするんだけど……?」

記憶が曖昧なので明確にそうと言えずに声が尻すぼみになる。振られた桃琥は痛い所を突かれたように目を泳がせている。

「あー……、それも説明しないとダメですか?」

「だから、全部吐いてけって」

「知らぬが仏っていうじゃないですか」

「……」

―全部説明したら、たぶん皆さん怒ると思いますけど」

由利と安杏以外の目が半眼になった。一体こいつは何をしてたんだ。

「怒らないとは約束しないがとりあえず今回に関係することは全部言え」

「わかりました」

一呼吸置いてから桃琥は最初から物事を話し始めた。

「最初はちょっとした目的から由利さんに近づきました。そうですね、最初は好意なんてそこまで持ってなかったです」

いきなりの大胆発言である。

「で、その目的って?」

静が問う。

「先程も言った通り、情報が欲しかったんです。最初は由利さん達の言葉、信じてなかったので。由利さんに言い寄れば、邸に近づく良い口実になるし、入った所で怪しまれることもありません」

由利以外の桃琥を見る目が一気に厳しくなった。桃琥は動じずに頬をかりかりと掻く。

「だから言ったじゃないですか。怒るって」

「確かにその通りだったな」

和丸が嫌そうに相槌を打った。

「でも今は本気で惚れたのでそんな考えは捨てましたよ」

そう言って彼は少し困ったような笑みを浮かべる。それでも嬉しそうに呟いた。

「全く、由利さんには最初から敵いませんよ。本当」

出会っていきなり突き放すような言葉を受けたと思えば、生きることを選んだと知ると花が綻ぶような笑顔を向けてくれる。思えば別に最初の言葉だって冷たい訳ではなく暖かかったのだ。

―彼女は、連れ出してくれるから。闇の中でも、一人で居ようとしていても、必ず見つけ出して、手をとって、光の方へと、人の輪の方へと連れ出してくれる。自分じゃない誰かと繋いでくれる。

気づけば当初の目的なんてどうでも良くなるほど彼女に惹かれていたのだ。

だが、それも終わり。想いが届かないなら、せめて彼女のために生きていきたい。

桃琥は意を決して口を開いた。

「一つお願いがあるんですが―」

それから数日後に和丸と由利の祝言が挙げられ、由利が正式に長の座を引き継いだ。

×閉じる

ただいま見参!

想起録 第一話

  1. 序章
  2. 終幕
  3. あとがき