ただいま見参!想起録 第二話 - 弐

ただいま見参! 想起録 第二話

朝早く、戸口がとんとんと叩かれた。眠りの淵にいた意識がその音によって覚醒へと引き戻される。

夏ともなって朝からやや蒸し暑い。もう一度戸を叩く音がした。

「……こんなはやくから……なぁに……?」

眠そうな声とふすまを引きずりあげる音が特に飾り気もない屏風の向こうから聞こえた。こっちだって昨夜散々付き合わされて寝るのが遅くなったから眠いのだが、自分が出るしかないだろう。軽く寝間着を整えて葉助ようすけは土間に降りて戸を開いた。

「はい、なんで―」

言いかけて、戸の向こうから現れた姿に続く言葉を飲み込んでしまった。

そこには、昨日の少年が立っていたのだ。

しばらく無言でお互いを見つめ合う。少年が先に困惑したように口を開いた。

しずか殿が寝起きしている場所はこちらだと伺ったのですが」

いつの間にか名前で呼ぶようになっている。いや、今はそこが問題ではない。なんでこんな時間に訪ねてきたかだ。

確かにこの時間帯から動き出す人もいるが、二人は、今日は早く起きるつもりはてんでなかった。が、来てしまったものは仕方ない。葉助はとりあえずまだ起ききっていない頭を動かして対応することにした。

「確かに、そうだけど」

正直に答えた途端、少年の目が険しくなった。

「そんな場所から出てきた……まさか、そなた静殿の男かっ⁉」

「は―?」

いきなり臨戦体制を取られて、寝起きの葉助は呆けた。しかし、自分の横から出てきた手が少年の頬をつねったのを見て、はた、と自分の後ろに視線を滑らせる。

「なに朝っぱらから来てふざけたこと抜かしてんの? あんたは」

整えた寝間着の上から羽織を肩にかけて静が不機嫌そうに自分の横から身を乗り出していた。

「ひはっ、ひはいへふ!」

頬を抑えながら抗議を上げる少年の顔が本当に痛そうなのを見て、静はぱっと頬から手を離した。それから抗議するように葉助の方を指さす。

「こっちはお兄ちゃん。ちゃんと血の繋がった兄妹よ!」

「まあ、そういうことかな」

「あっ、兄君でございましたかっ! それは失礼しました」

慌てたように少年は頭を深々と下げる。大して気にもしてないので葉助は「別にいいから」と片手を振る。

「で? 朝っぱらからなに? こっちはあんたのせいで寝るのが遅くなってまだ寝足りないのよ。折角の休日くらい休ませなさい」

静の言い分は正しい。昨日お開きになった後、野暮用を済ませてから戻ったら静がすでに酒を飲んでいた。どこから調達してきたのかと疑問に思う暇すらなく、戻ってそうそう葉助も静に酒を押し付けられた。そうして深夜かなり遅くまで、静の彼に対する愚痴―怒りの吐き出しに付き合わされたのだ。かなり腹に据えかねていたようだが、その根底にはどうもやはり裸を見られた怒りがあるようだったが。

おかげで昨日仕事から里に帰ってきたばかりの二人は完全に寝不足だった。

「そっ、それは失礼を!」

「いいから、用があるならさっさと言ってさっさと出てけっ」

半眼で睨めつけるような眼差しに、少年はまた慌てたように姿勢を正した。

「はっはい。一応昨日のお詫びをと思いまして。どうも某の発言で怒らせてしまったようでしたので」

「ああそうあたしはきにしてないからさっさとどっかいってくれないかしら」

棒読みで言い返すと、静は葉助を中に下がらせて、そのまま音を立てて戸を閉めた。

呆気に取られて瞬きを繰り返した葉助は、何事もなかったように布団に戻ろうとしている静の背を目だけで追う。マジマジと見るがその背には起こされた不満がありありと見えた。

「……静、今のはちょっと」

「お兄ちゃん、あたしもう一寝入りするから」

起こさないでね、と言外に伝えてそのまま頭まで衾を被ってしまう。

やれやれとその様子を見て自分も寝直そうと布団まで戻ろうとしたところ、また戸を叩く音がした。いきなり戸を閉められてしばらく放心していたが、今我に返ったといったところだろう。

葉助は少しだけ逡巡し、もう一度戸まで引き返して今度は少しだけ戸を開いた。

「あっ、お兄君!」

「あのさ、また後で出直してきてくれないかな。これからまた寝直すから」

「な」

「やっぱいたっ!」

何かを力説しようとしていた少年の言葉を遮って、第三者の声が飛び込んできた。

声の飛んできた方に首を巡らせると、通りの角から和丸かずまるがこちらを見ていた。慌てて飛び出してきたのか、珍しく着流しの格好だ。

「お前、さっさと戻るぞ!」

「ややっ! 長殿のお隣にいたお方ではありませんか。あっ、何をなされます!」

角から小走りにやって来た和丸は、少年の首根っこを鷲掴みにすると、葉助の方を向く。

「悪い。こいつは屋敷で厳重に見張っとくから寝ててくれ」

「そうしてくれると、助かる」

葉助が眠たげに応えると、和丸は眉尻をさげてすまなそうにする。そのまま少年をずるずるとひっぱって角の向こうに消えていった。

それを見届けてから葉助も戸を閉めてもう一度、今度はぐっすりと眠りについた。

兄妹が起きだしたのは太陽が頂点に昇る時刻だった。

「たく、朝っぱらから気分悪い」

二人で長の屋敷に向かいながら、静が不機嫌をまき散らしている。たぶん許可をすればその辺で壊せるものがなくなるまで暴れ回るんじゃないかと思えてしまうほどの不機嫌さだ。

葉助はそんな妹の姿に苦笑しながら少し後ろを歩いている。

長の屋敷に着くと玄関戸をくぐって勝手に中に上がる。そのまま長の部屋までまっすぐにやって来た。

襖を軽く叩く。中から応答があったのを確認してから静は左手で襖を開いた。

「ああ、静に葉助。いらっしゃい」

廊下と真向かいにある格子窓に向かうように文机の前にいた由利ゆりが、軽く上体を捻って背中越しに二人の方を見ていた。

「和丸は?」

「離れで彼の相手してる」

つまり監視か―二人はすぐに思い至る。

適当に文机の周りを片付けると、由利が御座を二枚出して二人に座るようすすめた。静と葉助は素直にそれに従う。

「彼、朝二人のところに行ったんでしょ? どうも監視させてた人に場所を聞いて飛び出してったみたいで。悪かったわね、起こしちゃって。その人もなんか彼の勢いに負けたとか言ってて、ちゃんと叱ってはおいたけど……」

心の底から申し訳なさそうに由利は軽く頭を垂れた。

「別に由利が謝ることでもないでしょ? じゃあ、今二人は離れにいるわけ」

「うん。説教も兼ねて」

顔を上げた由利は何食わぬ顔でそう告げた。静と葉助は虚を突かれた顔をする。

「せっきょうって、説教? 和丸が?」

あの少年の相手をしてるだけでも、一体何をしてるか不思議なのだが、それに加えて説教とくると想像ができない。そんな二人の心中を表情から察したのか、由利が離れの方を指さした。

「なんだったら見に行く?」

言うが早いか、由利は立ち上がって二人を先導するために先に廊下へと出た。二人も黙って由利の後ろをついていく。

「そうそう、午前中にもう一度彼に意思を確認してみたんだけど、やっぱり出て行く気ないみたい。説得してはみたけど、岩みたいに動きそうになかったわ」

移動しながら由利は二人に報告をして肩を落とす。由利も相当困っているんだなと二人はその背から汲み取った。

「もう目隠しでもしてつまみ出しちゃえばいいじゃない」

「そうしたいのも山々なんだけど、朝に外出歩いたでしょ、彼。あれで彼を追い出すだけにはいかなくなって。どこの忍の里かも聞いたんだけど、答えてくれないものだから余計追い出せなくなってて……」

どうも二人が寝てる間に彼はとんでもないことをしでかしていたようである。恐らく彼が勝手に出歩いた時に監視の目が離れたことで、何を見られて何を見られていないのかがわからなくなってしまい、出すに出せなくなったのかもしれない。

愚痴を聞かされた二人は少年の行動に苦い笑いをするしかなかった。

慣れた廊下を歩いて行くと、外に面した離れの廊下に出る。その廊下をまっすぐ角まで進んでいくと、すぐ正面に山に面したこじんまりとした庭のような場所が現れる。そこに二人はいた。

「ん? なんだ、いたのか」

少年から目を離した和丸は、三人の存在に気づいて縁に近づいてきた。

「和丸が説教してる、って言ったら、気になるって言うから」

由利が簡潔に事情を説明すると、和丸の目が半眼になる。

「そんなに珍しいか?」

静と葉助に問いかけると、二人は素直に一つ頷いた。

「だって和丸がよ? どういう説教するんだろって気になるじゃない」

「和丸ならそういう事は「めんどくさい」って言いそうだったから、ちょっと意外で」

「あのなぁ……」

それ以上は何も言い返さず、一つため息だけを吐く。話しやすいように由利の隣に移動して縁に腰掛けた。

「それで、何してんのあれ」

「なにって……逆立ち」

静に聞かれ、和丸は見たままを答える。

「いや、それは見りゃわかるけど。なんでこんな事になってんのっていう」

「体力見がてら体罰ってとこか? 言い聞かせるだけじゃなんか聞きそうになかったから」

「ああ、うん。やっぱそうだよね、彼。そういうとこも嫌いだわー」

和丸の言葉に、静は心の底から同意する。

「はい、和丸」

唐突に由利が横から水に濡らした手拭いを和丸に差し出した。来る道すがら水を汲んだ桶と手ぬぐいを持ってきていたのだ。礼を言いながらそれを受け取り、今度は彼が静達に問いかけた。

「で? 二人は何の用だ?」

「なによ、遊びに来ちゃいけないわけ?」

「他にやることないのか」

「冗談よ」

けろっ、といつものやり取りを終えてから、静が少年を指さした。

「アイツのことで話に来たのよ」

「僕はその付き添い」

「どうせ静に引っ張られてきたんだろ」

葉助の答えに、和丸はしれっと事実を言い当てる。葉助は少しだけ困った顔をした。

話し声を聞いた少年の身体が少しだけ動いた。のろのろと顔が由利達の方を向く。

「……そ、そのお声は……静殿ですか?」

「気安く呼ぶな」

静が一刀両断、切り捨てる。しかし、そんな冷たい態度もなんのその。少年の顔が見る間に明るくなる。と同時に、態勢を崩して鈍い音を立てながら地面に倒れ込んだ。

「和丸、とりあえず水分補給はさせてあげて」

いくらよそ者でも正体不明でも、倒れられては困るとばかりに由利は汗を拭っている和丸に、水桶を押し付けた。

承知した和丸が、水桶を少年の前に移動させる。

「飲め」

「あ、ありがとうございます!」

少年は軽く頭を下げてからがぶがぶと大量の水を口に含んで飲み下した。

「ほら、あと汗も拭いとけ」

水分補給を終えた辺りを見計らって少年に使っていない方の手拭いも手渡した。

「由利、あんなに優しくしなくったってもいいじゃない」

―て、言われてもねぇ……。まだ害があったわけじゃないから。他の里といざこざを起こすのは、私はごめんよ」

由利の至極まっとうな返事に、静は苦虫を噛み潰したような顔をする。

「そ、それで静殿。どうしてこの場に」

少年の声がして、二人は彼の方を見る。静を見る目はきらきらとしていた。

「だから、気安く名前で呼ぶなって言ってるでしょ」

嫌そうに返してから、静は一つ深呼吸をして気分を切り替える。

「あんたをさっさと追いだそうと思って」

「なっ、なぜにございます⁉」

「居るだけで迷惑なの。あたしの精神安定のためにもさっさとここから出てけ」

「そんなっ! 某は静殿を一時も忘れることができぬというのに、それはあまりにもむごう御座います!」

「しるかっ!」

言葉の応酬を繰り広げ始めた静と少年の姿を見て、由利はふと思いついたことを口にしてみた。

「ここで言い合ってもなんだし、ちょっと二人で出歩いてきたら? 里の周辺とか」

里の中は勘弁してね、と言い添えて、由利はすごく良い提案だとでも言うようににこりと笑った。

二人の反応は両極端だった。静は信じられないような顔をし、少年はこれ以上ないほど嬉しそうな顔をした。

「由利、どっちの味方なのよ⁉」

「え? どっちの―って、敵とか味方とか関係なく言ってるんだけど。ここでずっと終わりそうにない問答繰り広げられてもこっちも困るし」

詫びれなく言った由利に、静は自分が今どこにいるのか思い出して言葉に詰まる。「じゃあ」と静は葉助を指さした。

「お兄ちゃん一緒でもいいでしょ⁉ 二人きりにならなきゃいけない理由はないはずよ!」

「ああごめん。葉助はちょっと用があるから貸してね」

「じゃあ菜津でも安杏でもいいから!」

「菜津は今日、父上に用があってそれに付き合ってるし、安杏は今里にいないわよ」

由利ににべもなく却下されて、静は口を完全に噤んだ。何か言い返そうにも、いい反撃の言葉が出てこずに、うぐぅ、と唸る声だけが静の口からもれている。

「……わかったわよ。行けばいいんでしょ!」

「いってらっしゃーい」

その時、ひらひらと静に向かって手を振る由利の姿は、静にはとても薄情な人間に見えた。

二人の姿が完全に見えなくなったのを確認して、由利はほっと息を吐いた。

―あのさ、由利」

「ん?」

戸惑いがちの葉助の声に、由利は何事もなかったかのように振り返る。

「今の言葉はさすがになんていうか、ちょっとなぁ、と思うんだけど」

「あ、ああごめん」

簡単に謝ると由利はすぐに話題を切り替える。

「で、葉助に用ってのなんだけど」

葉助は二回ほど瞬きをした。

「それは本当の話なんだ?」

葉助はてっきり自分を付いて行かせないための口実だとばかり思っていた。が、それを聞いた由利が逆に意外そうな顔をしたので、本当に用があったのだと気づく。

「言っておくけど、父上は出かけてるから菜津はそれについてってるし、安杏には別の頼み事してて今留守にしてるわよ。じゃなかったら静に意地悪みたいなこと言わないわよ。まあ、静をダシに使うみたいであまりいい気はしないけど」

そこで葉助はぴんと来る。

「ああ、そういうこと。静に見つからない保証はないけど?」

「そこはまあわかってるつもり。お願いしていい?」

「長にお願いされたら断れないだろう。それじゃあ行ってくるよ」

葉助は身を翻すと、静達が消えていった方角へと小走りに駆けていった。

「そんな簡単に尻尾出さねぇと思うけど?」

桶と手ぬぐいを回収して戻ってきた和丸が、三人が消えた方を見て言う。由利も眉間に皺を寄せながら桶を受け取る。

「それはわかってるけど……静にならころっとなんか喋りそうだし。それに護衛に葉助なら相手も気づきにくいだろうしと思ったんだけど」

―あいつ修行中って言ってたけど、たぶんもう一通り修業は終えてるはずだぞ」

和丸のその言葉に由利はげんなりとする。

「うーんやっぱり?」

「ただ実践はそんなしてねえと思う。昨日今日と見てた感想だけどな」

言うだけ言って草履を脱いで縁に上がると、和丸はどこ吹く風で母屋の方へと歩いて行く。その後姿を見て由利は溜息を一つ吐いてその後を追った。

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ただいま見参!

想起録 第二話

  1. 序章
  2. 終章
  3. あとがき