ただいま見参!想起録 第三話 - 拾伍

ただいま見参! 想起録 第三話

拾陸

由利彬光あきみつが自室で昼間やり残した政務を行っていると、部屋の隅で音がした。振り返ると、いつの間にか女性が一人部屋の隅に立っていた。宵の口の燭台の灯りで見る限り古ぼけた着物を纏い、長い黒髪を背中に流している。その顔をよく見て、彬光はおどけたように声をかけた。

「これは、いつかの御使者殿。このような時分にいかがなされたかな?」

勝手に城どころか室内に侵入した由利はその反応に顔を歪める。

「変な芝居はやめてよ、兄上……」

ようやく、彼は軽く目を瞠る。そこで彼は、演技をすることを止めた。

「思い、出したのか」

彼の確認に、由利はこくんと小さく頷いた。彬光は「そうか」と自分に言い聞かせるように繰り返す。その時、廊下に彼の小姓が現れ、急な使者が来たと告げた。

「少し外すが、そこでゆっくりしておれ。わしに用があるのだろう?」

小姓は知らぬ間に女性が室内に居ることに目を丸くしていたが、彬光が何かを言いつけるとすぐに小走りにどこかへと消えていく。彬光もいなくなった薄暗い部屋の隅で由利が大人しく丸くなっていると、先程の小姓が戻ってきてお茶を置いていった。それにも手を付けずに待っていると、少しして彬光が戻ってくる。

「待たせた。が、すまぬがもう少し待ってもらってもよいか。さすがにやり途中をそのままにするわけにもいかぬ」

と、彬光は机の上を目で指し示す。由利は一つ頷くと、叱られた幼子のように自分の膝に顔を埋めた。その様子を意外そうに眺めながら、彬光は政務を片付けに戻る。

外がすっかり暗くなった頃、ようやく彼は伸びをして机の上を片付け始めた。

「すまん。すっかり遅くなった。それで何用だ?」

彬光は由利に向き直り、彼女の話を聞く体勢をとる。由利は姿勢を正すと手をつき、床に額が付くほどに頭を下げ、懇願した。

「兄上。あたしを、殺してください」

一つ深呼吸をしてどうにか自分を抑えると、彬光は優しい眼差しで由利を見る。

何故なにゆえじゃ? わしにお主の命を絶つ権利があると?」

当然とも言える疑問に、由利は頭を上げた。彼ではなく、床に視線を落としたまま彼女は彼に自身の罪を告白する。

「村が襲われたのは、あたしのせいなの。父上も、村人達も、みんな、あたしが殺したも同じだから。だから、兄上には、あたしを殺す理由がある」

―仔細を話せるか。それだけでは事の善悪は私にはわからぬ」

由利はぐっと唇を引き結ぶ。膝の上で握りしめた拳が白くなっていた。

「あたしが、山で介抱していた男に、兄上は気づいてた?」

彬光はずっと昔の記憶を手繰る。そんな男、いただろうかと考えて、眉根を寄せた。

「お主の様子が妙だった気はするが、山で男でも手懐けてたか」

「変な言い方はやめて。男の人が嫌がったから山で世話をしていたの。バレたら怒られると思って、誰にも言わなかった。けどその時、あたしはその男にあたしの村のことを色々話してた。―その男が、盗賊の頭領って気づきもしないで」

彬光はあの日起きたことを察する。あの時、父親は足を怪我していた。なんでよりによってと思ったが、狙われるべくして狙われたということか。

「お主が手引したようなものと申したいか」

由利は頷く。

「それだけか?」

すかさず問いかけると、由利の肩がびくっと揺れた。彬光は目をすっと細める。

「先程から、母上のことを一言も口にしておらんな。知らぬのか、言えぬのかは知らぬが……」

彬光は膝を押して立ち上がると刀掛から日本刀を一振り手にした。鯉口を切り、刀身を鞘からゆるりと引き抜く。燭台の灯りに刀身が鈍く映しだされた。

「賊に加担し、村を滅ぼしたとあれば確かに斬る必要もあろうか。覚悟は、できているのか」

右手に刀を提げ、彬光は由利を見下ろしながら問う。由利は言葉で返す代わりに、瞼を閉じてうなじを見せるようにこうべを垂れた。それを見た彼は、刀を両手で握り締めて大上段から振り下ろした

「こっの、大馬鹿野郎!」

痛みの代わりに突然湧いた声に由利はハッと目を見開いた。顔を上げると、見知った背中が目の前にある。

「かず、き……」

「何勝手に死のうとしてんだ!」

呆然と彼の本名を口にすると大声で怒鳴られた。彼は白刃取りした切っ先を横にずらす。彬光も大人しく刀を引き、懐紙で刀身を拭ってから鞘に納めた。

和丸が由利の方に振り向こうとすると、由利は彼の背中にしがみついてそれを拒否する。

「お願い、見ないで……」

「あ? なんで」

「見られたくない……」

和丸は苛立たしげに眉間に皺を寄せる。

「だから、なんでだ! ―俺が嫌なら、はっきりそう言ってくれ」

「違うのっ!」

予想外に即答され、和丸はこれ以上ないほど目を大きく見開く。「え?」と掠れた声が口をついて出た。由利は和丸の背に縋るようにして震えている。

「違うの……逆で……春輝かずきに、嫌われたくないの……好き、だから」

その場に沈黙が降りた。長いと思われたその無言の間は、和丸のむせる音で掻き消える。

「や、悪い……。その、こんな時にあれなんだが、今、すげぇ嬉しくて」

和丸は思わず緩む口元を手で覆い隠す。気持ちを落ち着かせるために深呼吸をして咳払いを一つ。

「違うのはわかった。だったら尚更なんでだ。なんで俺がお前を嫌いになるなんて思うんだ」

「だ……って……」

彼女の声が震える。彼に言いたくない思いが強いのだろうか、そこで言葉が詰まる。

「言ってくれ。お前の話、ちゃんと全部聞くから。俺が、知りたいんだ」

「話したら、絶対軽蔑される」

「しない」

「嘘」

「お前が俺のことを好きだと言った。だったら、俺がお前のことを嫌いになる理由なんてもうどこにもないだろう。俺は最初から最期まで間違いなくお前を好きでいる。絶対何があっても、俺は最期までお前の味方だ」

彼の言葉に、由利はそれでも少しだけ迷ったが、意を決して重い口を開いた。

「あたしが、ただの殺人鬼でもそう言えるの……? あたしが、あたしが結果的に自分の村に盗賊を手引した。村を襲った盗賊は、あたしが殺した……と思う。その時生きてた村人も、たぶんあたしが殺してる。その時のことは正直言ってすごく曖昧でよく覚えてない。ただ……」

由利はそこで一度言葉を切って呼吸を整えた。

「あたしが、この手で、母上を殺したのは、はっきり、覚えてる……っ」

今にも泣きそうな声で、由利は自分があの時したことをわかる範囲で全て白状した。

「母上を、ただ守りたかっただけだったのに……訳がわかんなくなって、里で目が覚めるまでの記憶がひどく曖昧で……。あたしは、ただの血で汚れた殺人鬼だもの……春輝に好かれるような人間じゃ、ない……」

自分は彼の思うような人間ではないと由利は告げる。だから、今の自分を見られたくないのだと。和丸はそれを聞いて不満気に鼻を鳴らした。

「それで、お前が死ねば全部チャラになんのか。違うだろ」

はっきりと、しかし静かに彼は応える。その声がやけに強く彼女の耳に入ってきた。

「俺だって人のこと言えねえけど、お前、今まで何人殺してきた。忍びになるって決めた時、覚悟を決めたんじゃないのか。お前は盗賊も、村人も、お前の母親も自分が殺したからって言うけどな、そんなん今更だろうが。人を殺してることに変わりねえんだよ。むしろ、今まで仕事で殺してきた奴らに失礼だろうが」

「で、でも」

彼の言葉に由利はなおも戸惑いを向ける。和丸は苛立たしげに無理矢理由利の方に振り向いた。顔を強ばらせて固まった由利の肩を掴んで、間近にまで引き寄せる。

「だったら、お前が死んだら、俺も死んでやる」

彼の突然の宣言に素っ頓狂な返事が返ってくるまで一呼吸の間があった。

「は、はあ⁉」

この場に来て初めて見る由利の間抜けた顔だった。

「な、なんでそうなるのよ⁉ 和丸までいなくなったら、里はどうするのよ⁉」

「だったら! 俺を生かすために生きろ。里の奴らを生かすために生きろ! あの里の長はお前だ。俺じゃない、お前なんだ! 俺はお前のために生きてきた。あの時、俺を生かしたのはお前だ。俺が今、人として生きてるのは、生きてこれたのは、お前がいたからだ! あれが、あの時お前が言った言葉がお前じゃない他の誰かの言葉だって関係ない。あの時俺を救ったのは、他でもないお前なんだ! お前が居なくなったら、俺は生きてる意味も、価値も、失うんだ! ―だから、俺の前から居なくなったりなんて、頼むからしないでくれ……」

彼女の肩を掴む力が緩む。和丸の告白を聞いた由利の顔は悲しそうに歪んでいた。結局自分は、彼を傷つけることしかしていない。今まで、何回彼にこんな顔をさせてきていたのだろう。こんな思いをさせてきたのだろう。

由利は両手で顔を覆って俯いた。その肩は震えている。

「あたしは……生きていていいの……?」

くぐもった声で由利は問いかける。彼は、即答した。

「当たり前だろ。死んで償いになるか馬鹿。だったら生きて経の一つも上げてやれよ。それでも恨まれてたら死後にあの世で文句言われるだけだっつの」

返事の代わりにすすり泣く声が聞こえてきた。しばらくそうして、間を見計らった彬光が由利に問うた。

「だ、そうだが如何する。まだ私に斬られたい、とそう望むか?」

由利は首を横にふるふると振る。彬光はその答えに安堵して笑った。

「そうか。そうしてくれ。私に、妹を斬るなんて哀しいことはさせんでくれ」

「ごめ、なさい……」

「己のしたことを本当に悔いておるなら、生きるべきだ。咲露さあら

和丸が不思議そうに彬光を見て、由利を見た。

「さあら……?」

「あたしの、名前」

目元を拭いながら由利は顔を上げる。

「村にいた頃の。由利咲露があたしの名前。―今のあたしは、由利だから、由利って呼んで」

ひくつきながら由利は自身を落ち着かせるように呼吸を整える。何度か深呼吸をして、ようやく彼をまっすぐ見た。

「それでも、あたしは自分がしたことを自分で赦せない。弱い自分が許せない。あんなの、ただの殺戮と変わらないもの……。だから、一生自分を赦せなくても、自己満足でも、赦せるように償って生きていきたい。でも」

由利が何かを言いかけるのにすかさず和丸が彼女の拳に手を重ねた。その手は今まで外にいた自分の手よりもずっと温かい。その手を、彼は強く握りしめた。

「俺がずっと隣にいてやる」

由利の顔が再び歪む。涙を堪えながら言いかけた「独りじゃ怖い」という言葉を呑み込み一つ頷く。涙声で小さく「ありがとう」と伝えた。

それから由利は堰が切れたように彼の胸で泣き始める。彼は軽く抱きしめるようにして彼女のしたいがままにさせていた。

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