ただいま見参!想起録 第三話 - 拾陸

ただいま見参! 想起録 第三話

拾漆

彬光はやれやれと息をつくと、刀を刀掛に戻そうとして―ふと廊の向こうに見える庭に目をやった。いつの間にか、見知らぬ鎧姿の男が立っていたのだ。城のものは誰も騒いでいない。彬光は目元を険しくして部屋と廊の境まで前に出た。

「何者か!」

誰何すいかすると、奥の二人も異変に気づいて庭を見た。そこにいた男を見て和丸は軽く目を瞠り、由利は怯えるように一寸ちょっと身を引いた。

男は由利の方を見るとにたりと粘っこい笑みを浮かべる。

「やあお嬢ちゃん。やっと見つけた」

あの時死体になったはずの盗賊の頭が、なぜかそこに立って喋っている。

「お前……なんでここに……」

呆然とする和丸の言葉に彬光が軽く彼の方を見た。

「知り合いか」

「いや、知り合いっつか……今日征伐した盗賊の頭で、由利が、斬り捨てた……はず」

問われた和丸も戸惑った。死体になったところは見ているのにいつの間にか死体は勝手に消えているし、かと思ったら目の前に現れて平然と喋っているし、狐につままれた気分だ。

男はゆっくりと部屋の方に近づいて来る。彬光は無言で鯉口を切った。男が廊の近くまで来た時、突然影が男の前に踊り出る! 次いで男の悲鳴が上がり、男は慌てて後ろに下がる。男の左腕と脇腹を切り裂いた桃琥は小さく舌打ちした。

今ので仕留めるつもりだったが、相手のほうが僅かに早かった。桃琥は青銅のつるぎにも似た剣を構えながら、男と廊の間に立ちはだかる。地に落ちた男の左肘を見て由利と和丸の二人は瞠目する。彼の構えた剣が理屈は不明だが生身の人間を斬れないことを二人は以前見ていたからだ。

「お前……いやその剣はなんだ……」

男が憎々しげに桃琥の持つ剣を睨んだ。桃琥は気にせずにまっすぐ男を見据える。呼吸を整え左足を一歩前へと進める。遅れて引きずるように右足を揃えた。次に右足を一歩前へと進め、同じように左足を引きずるようにして揃える。

桃琥は左右交互に同様に歩を進め、男との間をじりじりと詰めていく。

反閇へんばいか」

様子を見ていた彬光が、彼が何をしているのかに気づく。彼の今の歩き方は神事や能などで見たことのある歩行法と同じものだった。禹歩うほとも呼ばれるその歩行法は魔除けと清めをもたらすと聞き及んでいる。

桃琥が九つ歩を進めた時、突然地に転がっていた男の左腕が黒い塵のようになって崩れた。中から一瞬白い人影のようなものが天に向かって伸びると塵の塊は風にさらわれるように霧散して掻き消えた。

更に後ずさろうとする男に向かって、桃琥はそこから一気に間を詰める。同時に剣を思い切り前に突き出した。二人の姿が交錯する。左肩に走った激痛に桃琥は悲鳴を上げないように奥歯を噛み締めた。

桃琥の突き出した剣は男の胴を貫き、男が咄嗟に振り下ろした刀は桃琥の左肩口に食い込んでいる。更に力を込めらた左肩の痛みが不意に軽くなる。男が力を緩めたわけではないのは男の表情が更に険しくなったことを見れば明白だろう。

―桃琥くんは、殺させない……母上みたいに死なせないっ」

不意に、背後で由利の声がした。それで彼女が男の刀を彼の代わりになにかで受け止めてくれていることを理解する。

由利の悲鳴のような声に、男は今の状況がかつて彼女の母親を殺した時と酷似していることに気づく。あの時はお互いが受けている傷を彼女の母親が一人で受けていたのだ。

「お前は、ここで絶対成仏させる」

桃琥は自分に言い聞かせるように宣言すると、意識を集中した。剣を握った手に力を込め、死霊成仏の念を音と紡ぎだす。

漸々修学ぜんぜんしゅうがく悉当成仏しっとうじょうぶつ願以址功徳がんいしくどく普以於一切ふぎゆうおいっさい我等与衆生がとうよしゅじょう皆共成仏道かいぐじょうぶつどう毎自作是念まいじさぜねん以何令衆生いがりょうしゅじょう得入無上道とくにゅうむじょうどう速成就仏身そくじょうじゅぶつしん

体を貫かれ、焦っていた男の動きが止まった。桃琥は完全な確信を持って最後のひと押しを唱える。

「死霊を切りて放てよ梓弓、引き取り給え経の文字!」

桃琥がそう締めくくると、その場にぶわっと天に向かう強風が吹き上げた。巻き上げられた土砂から身を守りつつ、その風の中に桃琥はいくつもの白い人影が浮かんでは消えていくのを目視した。風が止むと、刀と中身の無くなった鎧、最後に頭蓋骨が乾いた音を立てて地面に転がった。

桃琥は肺が空になるほど息を吐く。頭蓋骨が勝手に動き出さないのを確認して安堵すると左肩の痛みが現実に戻ってきた。泣きたいほど痛いのを我慢して助力の礼を言うべく由利の方に振り返り、少しだけ驚いた。

由利は、刀と鎧のほうを見つめて、色々なものがないまぜになったような、切なげな表情をしていたからだ。

「由利さん……」

声をかけると、変わらずそちらを見つめたまま、彼女は返事をする

「もう、とっくに、死んでいたのね……」

―たぶん、由利さんと会った時には既に……」

「そう、なんだ」

由利はそれだけを口にした。

あの男は―正確には死霊達が寄り集まった物の怪だ

った。男の念が核になったのか、男が他の死霊を取り込んだかはわからないが、男を初めて見た時の違和感は死体が消えた時にほぼ確信に変わっていた。

「由利さん、ありがとうございました」

桃琥は改めて頭を下げて御礼を述べた。由利はそこでやっと鎧から視線を外して桃琥を見る。

「ううん。―母上を斬った時と似てたから、つい飛び出しちゃっただけ。また後で和丸に無鉄砲だって怒られるわね」

そう言って、彼女は苦笑した。

その日の夜、桃琥が熱を出したため、三人は由利彬光の城にしばらく滞在することとなる。

二日後、桃琥が布団の中で目を開けると、和丸とこの家の侍女と思われる少女が一人だけで由利の姿が見えなかった。

「あの男が消えた時、髑髏しゃれこうべが落ちてただろ?」

どうしたのか尋ねてみると、彼はそう話を切り出した。一昨日、彼が強制成仏させた時の鎧と刀とともに残っていた頭蓋骨のことだろう。

「あれを葬りに行ったんだよ。あのままじゃ流石に可哀想だっつってここのお殿様に昨日相談してたぞ」

それで言うが早いか早速今日、墓を作っても大丈夫そうな所に案内してもらって埋葬してくるそうだと、それで由利は今いないのだと彼は締めくくった。桃琥は昨日ほとんど眠っていたから知らないのも無理はない。が、男の話が出て、なぜか桃琥の顔が曇った。それに気づきはしたが、和丸はそれについては言及せず、ぬるくなった彼の手ぬぐいを取りつつ別のことを尋ねた。

「それよかお前、俺に嘘ついただろ」

手にした手ぬぐいは侍女の少女に手渡す。右手が使

えないので絞れないのだ。

「何についてです」

「こっちに来る前の―俺に由利が鬼だって話をしに来ただろ、そん時の。辻褄があわねぇんだよ」

言われて桃琥は「ああ、気づいたんですか」と悪気なくあっさりそれを認めた。

「あの時は話す必要はないと思い、一部誤魔化しました。何について聞きたいんですか?」

「由利が鬼になっていないのは自害してないからっていうのは違うな」

和丸が問うと桃琥は「はい」とハッキリと頷いた。

「由利さんが鬼になってないのは単にギリギリで人であることを手放さなかったからですよ。前回は大長が、今回は和丸さんが引き留めたんですね」

「じゃあなんで自害したら鬼になるなんて言ったんだ」

重ねられた問に桃琥は「それについては別に嘘ではないですよ」と告げる。

「あの男が由利さんを欲しがっていたようでしたから。だから、由利さんに自害なりなんなりしてもらう必要があったんでしょう。そうしたらあの幽鬼に取り込まれる。そうなったら鬼になるのと変わりはないでしょう。あの幽鬼がなにを考えてたかなんて知りませんし、勝手な憶測ですけどね」

あっけらかんと天井を見ながら白状した桃琥に、和丸は「よくまあ」と言葉を飲み込んだ。

「俺はまんまとお前に騙されたわけか」

「陰陽師は基本的に嘘吐きですよ。覚えていただかなくて結構ですけど」

正確には必要のない事実を言わないだけなんですけどね、と桃琥は言う。

「それにしても、そうですか。由利さんはあれを供養に―すごいですね。あの男を、赦したんでしょうか」

さあな、と和丸は返す。由利のことだから死んだら皆同じとでも考えているかもしれない。

「オレには、とてもできそうにありません。そんな風に思うことは」

自虐気味に嘲笑うと、桃琥は右腕で目元を隠した。それを見た和丸は少女から絞られた手ぬぐいを受け取ると一旦外に出るよう促した。

「あの男……、いえ、あの盗賊達は、オレの仇だったんです」

障子が閉まる音とともにされた突然の告白に、和丸は視線だけを彼に向ける。桃琥は独白を続ける。

「オレは、仇を討ちました。討っていました。あいつを成仏させて、全部終わって―嬉しかった。でも同時に―オレの村が、両親が、もういないことを、会えないことを現実に突きつけてきた」

話す彼の声は次第に震えて涙混じりになっていく。和丸はすっと目を細くすると、冷たく絞り直してもらった手ぬぐいをベシッと彼の顔面に投げつけた。

「泣くなら今泣いとけ。由利に見られたくねぇんだろ。全部熱のせいにしといてやる」

手ぬぐいを目に押し付けて、桃琥は啜り泣いた。もうわかっていたはずなのに、改めてその事実を突きつけられて―怖かった。まだ仇討ちが果たされなければ家族といられたのではないかとすら思えて、嫌な夢すら見た。村のため、親のため赦せなかったのに、独り善がりの義心だったのかと思うのが怖かった。そこにはもう誰もいない。誰も応えてくれない。そんなのはわかっていたのに、それが自分の為でもいいと思ってきたのに、今になって、認めるのが怖くてただ怖くて。

感情がない混ぜになって、彼はあの日の夜のように和丸の前だというのも構わずにただ泣いていた。

傍らで黙って泣くがままにさせていた和丸は、ぼそっと口の中で呟いた。

「それでも、俺はお前が羨ましいよ」

桃琥に聞こえるか聞こえないかの小さな呟きを残し、和丸は部屋の外に出てそっと障子を閉じた。

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