ただいま見参!想起録 第三話 - 伍

ただいま見参! 想起録 第三話

「桃琥、とーうく」

室内で傷薬を作っていると、入口の方から小声で名前を呼ばれた。手を止めて肩越しに確認すると双子が顔だけをこっそり覗かせて手招きしている。

「ここはいいから、行ってこい」

隣で別の作業をしていた二十七、八くらいの体格のいい仏頂面の男性が、手を止めずに小声で告げる。

手短にお礼を告げてから呆れたように溜息一つ、桃琥は外に出た。

「なんでお前らまで安杏あんずみたいなことしてんだ」

開口一番桃琥は半眼でそう言い放つ。安杏が自分につきまとい始めた頃もなぜか出入り口や窓からこっそりと覗いていた。ばれないとでも思っていたのかは謎だが、その時は我慢できずに「忍なら忍べよ」とツッコミを入れてしまった。それを切っ掛けにそれまで以上に話しかけてくるようになってしまって彼は密かに後悔している。その時と双子の行動が似通っていて思わずそんな台詞が口をついて出てしまった。

きょとんとする双子とは全く別方向から文句が返ってくる。

「それどーゆー意味ー、桃琥ー」

上から降って湧いた女の声に、桃琥は額を抑えて溜息を吐いた。なんで屋根の上にいるんだこいつは。

「おや、安杏もいたのか」

「あれ、竹くん、梅くん。桃琥に用事?」

屋根の上から宵空の様に深い髪色を括って垂らした、幼さの残る女性が顔を出した。双子の姿を見つけると、猫のような身軽さで宙に身を躍らせ、三人の側に着地する。小柄でスラっとした身体に忍び装束を纏った少女―安杏も三人の会話に加わった。

「なんでお前まで来るんだ。二人の用があるのはオレでお前じゃないだろう」

「えー。別にいーじゃん。盗み聞きするよりマシだよ」

桃琥が鬱陶しげにけようとするが、安杏はそよ風のように受け流す。

双子は目を見合わせるが、まあいいかと話を切り出した。

「先程、長殿の所に行ってきたんだが、どうにも顔色が悪いように見えてな」

「和丸殿もその時不在だったから、直接桃琥に伝えたほうが騒ぎにはならないかと考えた」

二人の言葉を聞いて、桃琥の目元が険しくなる。

「ちなみに何の用かは聞いても?」

双子は口を閉ざしてお互い目を見合わせる。それから黙って首を横に振った。

「仕事絡みってのはわかっておるだろう? それが何についてかは長殿に聞いて欲しい」

竹虎の説明に桃琥は「わかった」と承知する。

「由利さんは今お屋敷に?」

桃琥の問に梅が頷く。

「まだ居られると思う」

「わかった。すぐに行ってくる。ありがとな」

「うむ。よろしく頼んだ!」

竹の元気な声を背中に桃琥が片付けと荷物を取って出てくると、安杏だけがその場に残っていた。

「安杏も心配だからついてく」

げんなりとした表情を浮かべながらも、桃琥は本日三回目の溜息をして「勝手にしろ」とだけ告げた。ひょこひょこと髪を揺らしながらついてくる安杏を無視して長の屋敷にたどり着くと、玄関先から中に一声かける。ところが―。

「折角来ていただいたのに申し訳ありません」

まさかの門前払いを受けた。予想外の事態に桃琥が二の句を継げないでいると、安杏が小首を傾げながら対応している女性に尋ねた。

「由利お姉ちゃん達、いないの?」

「いえ、そういう訳では……」

「じゃあ、お姉ちゃんたちが暇になるまで中で待ってる」

「あの、それはちょっと……また後ほど出直していただけないでしょうか」

歯切れの悪い返答に桃琥は眉を顰める。返事をしかけた安杏を抑えて今度は桃琥が尋ねた。

「それでは、いつ頃来ればよろしいでしょうか。由利さん達のご都合に合わせましょう」

「それは……私にはちょっと」

「では、由利さんに聞いてきていただけませんか。いらっしゃるんでしょう?」

これにもやはりはっきりしない言葉を返してきて桃琥は不審な目で女性を凝視した。傍らで安杏はきょとんと女性を見つめている。

「あら、安杏、桃琥くんどうしたの」

三人が声に惹かれて同じ方向を見た。たまたま通りかかったのか、綺麗に畳まれた洗濯物を抱えた菜津なつが廊下の奥から不思議そうに桃琥と対応している女性とを見ていた。

「菜津お姉ちゃん、由利お姉ちゃんどーかしたの?」

「え?」

安杏の言葉に菜津は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

「どうかしたって、何が? 遊びに来たのなら部屋の方にいると思うから上がったら?」

彼女の反応に驚いたのは桃琥達もである。

「先程〝会えないので出直してきて欲しい〟って、言われたばかりなんですが」

「は?」

菜津が女性の方を見る。

「私は何も聞いていないのだけれど、どういうこと?」

「ですから……その……」

女性の目が泳いでいる。菜津の目がすっと細くなった。

「由利と和丸は今、何をしているの。あなたは通してはいけない理由を聞いているの?」

声が鋭くなっている。不穏な気配を感じながらも桃琥と安杏は黙って事の成り行きを見守っている。

「良いと言われるまで、誰も通してはならないと、そう言われているだけで」

「あなたはこれをお願い」

話にならないと判断した菜津は、問答無用で抱えていた洗濯物を女性に押し付けると長の部屋の方に向かって歩き出す。押し付けられた洗濯物をしっかり抱え込みながらも女性も慌ててその後を追っていく。「菜津さん待ってください」という声についていくように安杏も遠慮無く上がっていくので桃琥もそれに続いていく。

廊下の角を曲がると、すでに菜津が長の部屋の前で中に声をかけている。返事はなく、菜津は有無を言わさない体で「入るわよ」と女性が止めるのも聞かずに襖を開けた。

桃琥と安杏も追いついて二人の後ろから中を覗き込む。

―中には、誰もいなかった。

綺麗に物が片付けられた部屋の中で、出された文机の周りだけが妙に乱雑に紙が散らばっている。すずりも出しっぱなしである。

―これは、どういうこと?」

女性の肩がびくっと小さく震える。菜津の声が異様に低く、硬い。反射的に安杏が身を引いた。

「二人は、どこへ?」

ゆっくりと振り返る菜津の目が完全に据わっている。腹の底が冷えるような錯覚がした。

「あの……その……少しお二人で出てくると、すぐに戻られると、仰るので」

「行き先は聞いていないの?」

女性は無言で頷いた。

「旦那様に、誰か来たらそう言うよう、言われました」

菜津の気迫に圧されて女性の声が次第に細くなっていく。

「菜津さん、あの」

「口を挟まないで」

「あ、はい……」

女性があまりに萎縮してしまっているので少し菜津を宥めようと試みるが、彼女の方が容赦がない。桃琥もつい彼女に従ってしまった。

「二人が出てからどのくらい経っているの」

「そ、そろそろ半時になる、かと―あっ」

詰問されている女性が何かを思い出して声を上げる。全員の視線が女性に集まる。

「半時程で戻らなかったら、誰でもいいのでこの事を告げるようにとも、仰せでした」

告げられた途端、菜津が身を翻して長の部屋へと踏み込んだ。つ、と唯一片付けられていない文机に置かれた一枚の紙に目が行く。

それを手に取りじっと見つめる。それが何かを理解した菜津は更に文机の脇に置かれた料紙の束も手にとりざっと目を通していく。二人がどこに行ったのかを確信した菜津の手が静止すると手にした紙にくしゃりと皺ができた。握る手が微かに震えている。

「安杏」

「な、なぁに」

静かな声が怖い。桃琥の後ろで怯えながら安杏は菜津に返事をする。

「今すぐ動ける忍びを全員忍び装束で集めて」

「う、うん」

「あなたはくのいち達を屋敷に集めて待機するように告げてきて」

「は、はい」

女性にも指示を出して、菜津はゆっくりと紙から顔を上げた。その顔のどこにもいつものような穏やかな雰囲気はなく、能面のような顔の中で唯一、眦を釣り上げた氷刃のような瞳が際立っている。

「盗賊狩りよ。大馬鹿二人を助けに行きます」

菜津は今、完全にキレていた。

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