ただいま見参!想起録 第三話 - 捌

ただいま見参! 想起録 第三話

怒号とともに華奢な体躯が地面に組み伏せられた。

―っ!」

痛みに小さく呻くが、抑え込んだ男は力を緩めるつもりはないようで、その状態のまま詰問を始める。

何処いずこのものかっ」

「名前はしずか……辰興たつおき様の知り合いよ……田上たがみの里から急ぎの用なの」

静が声を絞り出してなんとか用件を伝えると、〝辰興〟の名を聞いた男は訝しげに眉をひそめる。騒ぎを聞きつけたのか地を踏む足音が近くに増えていく中で、一つだけ足早に近づいて来るものがあった。

「静殿⁉」

近くで聞こえた驚愕の声に、静は目線だけを動かして声の主を見上げる。袴姿をした懐かしい顔が、後ろで一つに括った髪を揺らしながら目を丸くして彼女を見下ろしていた。

「私の知り合いだ。手を離せ」

「若の、ですか?」

辰興の言葉に男は戸惑いを見せるが「身分は私が保証する」と強く言われ、渋々と言った体で静を開放した。

「静殿、この者が御無礼を働きまして、誠に申し訳ありません。お怪我は?」

辰興に助け起こされるが、静はやんわりと彼の手を押し離して彼の前で片膝をつき、頭を垂れる。

「温かいお言葉をありがとうございます。この度は辰興様に急の頼み事をお願いしたくまかり越しました」

懐の書簡を取り出し、つと彼に差し出す。辰興は一瞬だけ物言いたげな眼差しをしたがすぐに表情を引き締め、彼女の書簡を手にとった。

「殿、なんの騒ぎですか?」

一人の女声が楚々と彼の傍らに近づいてくる。辰興は書簡にひと通り目を通すと女性の方を向いた。

「客人だ。私は父上のところに行ってくる。この者に水を出してあげてくれ」

「承知致しました」

女性は一礼して彼を見送ると、「こちらへどうぞ」と静を一番近い建物に案内した。

「さ、どうぞ」

女性が持ってきた水の入った椀を御礼を述べてから受け取ると、静はそれに口をつけて喉を潤した。ようやく一息つくと椀を横において姿勢を正す。

「ありがとうございます。生き返りました」

「いえ、お気になさらず。―ああ、自己紹介がまだでしたね。私、辰興様ののはゆと申します。以後、よろしくお願い致します」

「ご丁寧にありがとうございます。私は田上の里の静と申します。突然の訪問、お許しください」

「いいえ、お気になさらないでください」

二人は笑顔で対応するがそれ以上の言葉がお互い出てこず気まずくなる。何か話題を出すべきなのだが、何を話すべきなのか。いやむしろ聞きたいことがあるなら振って欲しい。移動してる最中もそうだったのだが、彼女、はゆの態度がどこか落ち着かない。ここには腹の探り合いにきたわけではないのだが。

そんな折、足音が近づいてきて背高で切れ長の目をした男性が姿を見せた。辰興の側近であるはるかだ。静の姿を見つけると、笑顔になる。

「静殿、よくいらっしゃいました。御方おかた様、ありがとうございます」

「ああ、遼殿。ご苦労様です」

遼の顔を見て明らかにほっとした様子が見えるも、静をちらちらと横目で見ながら彼に何かを尋ねたいような雰囲気が態度から滲み出ていた。彼もそれを察しているようで、二人の間に腰を下ろしながらはゆの方に軽く身体を傾ける。

「静殿は以前、辰興様が田上の里を訪れた際にお世話になった方で、かの里の長殿の側近になります。本日もその長殿の使いでこちらに参ったと先程、若より伺っております。御方様が気になさるような間柄ではございませんよ」

「は、遼殿⁉ 私は別にそんな」

顔に紅葉を散らして慌てる様はどことなく幼さと可愛さが入り混じったものを感じる。遼は慣れているのか、軽く笑ってそれを流している。

「さ、後は私が引き受けましょう。御方様はお休みになってください」

彼の申し出に彼女は素直に従った。姿が見えなくなると、遼は苦笑して静に向き直る。

「どうも、ご無沙汰しております静殿。以前と……この度も大変失礼致しました」

「ああいえ。あたしは別に気にしてないので」

軽く頭を下げる彼に対して静は居心地悪くぱたぱたと手を振った。頭を上げると、こちらも頼んでいないがはゆと辰興の関係を彼女に説明し始める。

「あの一件の後に辰興様が正式に後継に決まりまして、まあ当然の流れで許嫁が決まり、数ヶ月前婚礼を上げられました。まあ、いま見ていただいた通り少々嫉妬される方でして内気な所がある女性です」

「何かを訴えかけるような目でずーっと見られてたのでその辺りはよーくわかりました。来ていただけて大変助かりましたとも」

場をなんとかしてくれた彼に素直に御礼を述べる。人様の土地で大きな態度で振る舞える気概は実のところ持ち合わせていないので針の筵に座ってるような心地しかしていなかったのだ。

「あ、ご婚礼お祝い申し上げます」

慌ててお祝いの言葉を述べると「辰興様に代わりましてお礼申し上げます」と形式上の言葉で返された。そこで一度言葉を切ると、彼はどこか遠い目をする。

―許嫁ができるのはそちらにお邪魔していた頃からわかっていたことでして。辰興様があなたに異様に固執していたのもそれがあったように思います」

静はその説明に片眉を跳ね上げる。

「そんな言い訳じみた事をあたしに言って、どうしろと? あの件はとっくに終わってるんだから蒸し返すような話はしないで欲しいわね」

「そうだぞ、遼。また余計なことを言ってないだろうな」

呆れた口ぶりが加わって、二人は辰興が戻ってきたことに気づいた。遼が空けた場に辰興が腰をおろす。

「確かに静殿に逢う前から許嫁の件はわかっていたが、だからといってそれはこちらの理由であって静殿には関係ない事情だろう。私の事を思ってのことはわかるが、時々過ぎるぞ」

「これは失礼致しました」

慣れた風に謝罪する姿に、辰興はふうと溜息をつく。考えるによくするやり取りなのだろう。彼は「お見苦しい所を」と会釈すると、咳払いを一つしてその場を仕切り直す。

「お待たせいたしました。書簡の件、父上の許可を得られました。これより我が里も盗賊退治に赴きます。これで、人数は事足りるでしょう」

援軍要請に来た静はその報せに心底ほっとすると床に額が付くほど深々と「ありがとうございます」と頭を下げた。遼が一礼してそっとその場を立った。横目で辰興がそれを見送ると、静にこの里の長からの書簡を差し出した。

「父上からの返書です。もう、戻られますか?」

「ええ。長居する理由もないし。あんまりいたって御方様が気にするんじゃないの?」

辰興の言葉の意味する所を捉えかねて静はきょとんとする。辰興は妻の話が出ると苦笑した。

「ええ、まあ……。良い方なのですが、そこだけが少々苦労します」

今までも嫉妬深さで何か細々とした事があった様子だ。少しばかり疲れた様子の彼を見ると由利ゆりはあの鈍さで逆にいいのかもしれないと思ってしまう。彼女の伴侶の和丸かずまるは自覚のない嫉妬深さなのだから。

「それじゃあ、あたしはこ」

「あの―あの時頂いたお手玉ですが」

「うん?」

「今も、大切にさせていただいています」

「あ、そうなの。ありがと」

「里の入り口まではお送りいたします」

そのやり取りだけで二人には十分だった。彼が何を伝えたかったのかを静は正確に理解し、辰興も彼女の表情から伝わった事を理解する。

あの時のことに一つも嘘はない―と。

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