二、キッカケは一期一会 - 2

ただいま見参! 口はしあわせの元

三、口はしあわせの元 - 1

天正十年六月二日。京の本能寺で織田信長が明智光秀の謀反により、志半ばで倒れた。

明智光秀の兵は安土にまで及び、信長が亡くなったことを知らない安土城周辺は騒然となる。

京と安土を結ぶ街道にあった掛け茶屋も当然のようにその騒動に巻き込まれた。

掛け茶屋で働いていたあの茶汲み娘は、今は由利ゆりたちの里に身を寄せていた。

店主に巻き込まれないように先に逃げろと店を追い出され、彼女は山に逃げ込んだ。さまよっていたところを、様子を見にきていたしずか志乃しのに幸運にも遭遇して保護されたのだ。

娘は最初、静に気づいていなかったが、前に会った時と違い髪を高く結っている事に気づいて目を丸くしていた。

里に来てからも茶店のお客が武家ではなく間者と知って、たいそう驚いていたのを静は今でも覚えている。

保護された娘は、何もしていないのは落ち着かないと屋敷の手伝いを申し出た。

娘には親がおらず、茶店の店主に働き手として拾ってもらった経緯がある。

事が落ち着くまで身を置くにしろ、はぐれた店主が見つかるまで身を置くにしろ、このままいつくにしろ、ずっと働いていた彼女にとって、何もせずにいるのは落ち着かなかったのだ。

静の後押しもあって里長である由利の承諾を得られた娘は、菜津なつに仕事の説明を受けているところだった。

「大まかにやる仕事の内容はわかったかしら」

菜津の確認に娘は「はい!」と元気よく頷く。

「ようするにほぼ家事ですね。家事は得意なので任せてください」

やる気たっぷりに宣言して、両の手をぐっと握りしめてみせる。

早速なにをすればいいか尋ねると、軽食の準備を手伝って欲しいと勝手場に案内された。

さあもう目の前の戸をくぐれば勝手場だという所で、娘は予想外の再会を果たしてしまう。

なんと、あの彼が娘の方に向かって廊下を歩いてきていたのだ。

甲賀の山の一つに由利たちの暮らす忍びの隠れ里がある。甲賀と安土は距離として離れていない。

彼女たちの里も、今回の一件でピリピリとしていた。

「そういう話で纏まったから、とりあえず今は足の速い人達に周辺の警戒をしてもらってる」

外にいる和丸かずまるに頼まれてそう報告しにきた目の前の葉助ようすけも、走り疲れたのかだいぶ疲労の色が見えた。

安土の動向を見張って欲しいと頼んでいたのは長たる自分とはいえ、由利はなんだか申し訳ない気持ちになってくる。

「ありがとう。それで問題ないと思う。万が一兵が近づいてきても手を出さないよう伝えてはいるんでしょう?」

「それはもちろん。和丸が師匠に指揮を任せてたし問題ないと思うよ」

それならよしと由利は「後は任せて休んで欲しい」と彼を労った。

京と安土を行き来してきてさすがにくたびれていた葉助は、素直にその言葉を受け入れる。

一礼して自分の住居に戻るべく部屋を辞した。

「あ、あの」

相当疲れていたのか、声をかけられるまで目の前に人がいることにも気づかなかった。慌てて足を止めて、飛び出してきた女性の顔を見る。

行きつけの掛け茶屋で働いていた娘だということはわかったが、なぜここにいるのだろうと無意味にもまじまじと娘の顔を観察してしまった。

葉助がなにも答えないのが不安になったのか、娘は顔を曇らせて視線を泳がせる。

(つい声をかけてしまいましたけど、もしかして覚えられてなかったんでしょうか……)

心は不安になる一方だ。しかし、ならばそう聞けばいいのだと、彼女の心はすぐに持ち直す。

そういう切り替えの速さや前向きな部分が彼女の良いところだ。

声をかけた以上いつまでも黙っていられない。娘は意を決して口を開いた。

「わたしを嫁にしてください!」

彼女の口は聞こうとした言葉とは全く違う音を発していた。

しばしの気まずい沈黙の後、娘は自分が口走ったことを理解したのか、顔を熱した鉄のようにして呻きながらしゃがみ込む。

「え」

さらに遅れて葉助がようやく反応した。

その全く意味を含まずに零された一音が娘の心情をさらに暴走させる。

これ以上何かを葉助に喋らせるまいと大声を張り上げさせた。

「いいいいいいまのはきかやかったことにやあああああああああああああああああああぁぁぁぁぁ……」

そんなよくわからない奇声を上げながら娘は屋敷の外に向かって爆走していく。

娘の良いところはそのまま悪いところでもある。前向き過ぎて気負いすぎ、時々、感情が暴走するのだ。

「あ、ちょっと」

出ていくのは非常に戸惑ったが、菜津は気まずげに横目で葉助を見ながら娘の後を追っていく。

残された葉助は「え?」と目の前で起きた出来事を理解するまでそのまま立ち尽くしていた。

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